標高3400mのクスコの夜 [マチュピチュ・ウユニ塩湖]
マチュピチュ村からクスコまではおよそ100km。午後1時半の電車に乗って、バスに乗り継ぎ、クスコに着いたのは、午後5時をまわっていた。4時間近くかかっている。1400mもの標高差のあるところを登ってきた。
3日前にリマからクスコに着いたときは、飛行機が遅れてクスコでの観光の時間がとれなかった。だからなんとか観光の時間をとろうと、インカの末裔らしき現地添乗員さんは動いてくれる。サントドミンゴ教会の観光時間は5時までなのだが、どうにか中に入れてもらった。、もうクスコの町も日が暮れかけていた。
写真はサントドミンゴ教会の2階外回廊から。
このサントドミンゴ教会はキリスト教の建物だ。だが500年前のインカ帝国時代は、インカの人々の創造神である太陽の神殿だった。インカの財宝が奉納されていたらしい。スペインが入ってきたとき、建物は壊され、中のものは持ち去られ、キリスト教の教会が建てられた。ところが建物の土台は、インカ時代のものが使われたために、内部にはきれいなインカの石組が残っている。
下の写真は、スペインがインカの石組の上に作った石組である。石と石の間に土が練りこまれていて、だれが見ても、インカの石組の美しさには及ばない。
スペインもとんだ証拠を残したものだ。
インカの末裔の現地添乗員さんがなんとしても見せたかったものが伝わってきた。
サント・ドミンゴ教会の中庭は、スペインのアルハンブラ宮殿を思わせるつくりになっている。
駆け足でサント・ドミンゴ教会を見学した後は、町を見ながら、レストランまでの道を歩いた。
こういう細い道をぬっていく。
ところどころに間口があいていて、お土産にするようなものを売っている。大きな荷物をしょった現地の人。
この通りはインカ時代に造られた石組だ。見事。
石の大きさに合わせてきっちりと組んでいる。いつも剃刀の刃も通さないと表現される。
また大きな荷物を背負った現地の人。
この通りは新しいようだが、段差がつけられている。これだと水はけもいいですね。だが、これはきっとスペイン時代の道路だろう。石が違う。
突然、アルマス広場に出た。クスコで一番にぎわう場所だそうだ。もうとっぷりと日が暮れていて、山に広がる住宅の灯が、お星さまみたいだ。
その広場のど真ん中にも荷物を背負った現地の人がいる。荷物の中身は何なんだろう。
反対側もきっと山なのだろうけど、山の中腹のキリストが光っていて広場を見下ろしている。
ペルーの宗教は、ローマ・カトリックが89%、プロテスタントが6.7%だそうだから95%がキリスト教なのだ。インカの太陽の神はどうなったんだろう。人種構成を見ると先住民45%、混血37%、ヨーロッパ系15%、その他3%だそうだから、先住民が多いのだが、長期間にわたるスペイン時代にキリスト教になっていったのだろう。
さて、レストラン「ドン・アントニオ」に着いた。フォルクローレショーつきだ。
アンデスの笛ケーナが響き渡る。
お面をかぶっている女性が杖をもっている。なにか有名なストーリーが展開しているのかもしれない。
ダンスも素敵。結構有名な踊り手が出演するらしい。
だけど、朝早くからマチュピチュのインティプンクに登った疲れが出てきたのか、踊りを楽しむどころではなくなった。こういうのって、結構、気合いを入れてみないと楽しめないのよね。念のため、アルコールは控えたのだけど。
そういえば、3400mもの標高で一晩過ごすのは、初めてだ。3000mを超えたことはなかった。マチュピチュにいくときはクスコを通ったが、泊まらなかった。標高に慣れていくということでは、リマの0m地帯から、クスコを素通りして、2000mのマチュピチュで泊まり、次が3400mのクスコで泊まる、ということになるから順当である。だが一刻も早く、ベッドに横たわりたいのは、ハイキングの疲れもさることながら、きっと3400mの標高がきいているんだろう。
標高3800mのチチカカ湖が見えた [マチュピチュ・ウユニ塩湖]
観光6日目
標高3400mのクスコで、無事、朝を迎えた。
マチュピチュに行くために預けていたスーツケースもホテルに届けられていた。
本日の行動予定は、ペルーのクスコからボリビアのラパスまで飛行機で行き、ラパスの町を見学することになっている。ラパスの空港は標高4000mを超える。お泊りはラパス。
飛行機会社はアマゾネス航空、名前がいいじゃない!
ギリシャ神話に出てくる女性戦闘集団の名前ではないか。いや、クスコ一帯は、アマゾン川の流域に入るからアマゾネスになるんだろう。そもそもギリシャ神話とアマゾン川の関係はどうなっているんだろう。
ワーグナーのオペラ、リングに出てくるワルキューレに喝采を送る身としては、アマゾネスは魅力的。さらにラッキーなことに座席は窓側。だが、視界の半分は羽が占めている。まぁ、よしとしよう。
飛行機の離陸寸前。クスコの密集した街並みが、滑走路のすぐ近くまでせまっている。
離陸すると、クスコの山の上のほうの民家がよく見える。
飛行機が高度をあげていくと、豊かな農村地帯になっていく。
川の流れが茶色い。民家がだんだん見えなくなる。
1時間くらい飛ぶと、湖が見えてきた。チチカカ湖だ。標高3800mだからクスコより高いところにある。
さすがに広い。えんえんとチチカカ湖。
チチカカ湖の写真上半分はペルー領、下半分はボリビア領になる。このフライトで国境を超えるのだ。
チチカカ湖に浮いているという葦でできた島をさがしたが、全然分別がつかない。多分、写真上のほうの半島に隠れてしまっていると思う。それにしても飛行機の羽がじゃま。
湖は雲を写しておだやかだ。
なんという島なのかわからないけど、島がみえるというだけで、なんだか嬉しい。
水の色が微妙に変わっているのはどうしたことだろう。
グーグルマップで調べてみるとこの島には名前がついていた。写真と地図が一致すると、とても満足感がある。
まだまだ島が見えてくる。
あれっ、そろそろ終わり?
チチカカ湖は終わり。
と思ううちにすぐにラパスの上空に来た。チチカカ湖とラパスは50kmくらいしか離れていない。だったらチチカカ湖に寄ってもよさそうなものだが、そうすると、また2日がかりになってしまうので、今回は寄らない。
標高4000mのラパスに到着だ。
ロープウェイは、標高4000mのラパスの都市交通手段、 [マチュピチュ・ウユニ塩湖]
朝10時45分にクスコを飛び立ち、12時半には、ボリビアのラパスに着いた。2時間もかからないフライトなのだが、国境を超えるのでそれなりに時間がかかってしまう。
ラパスの空港は、厳密に言えば、ラパス市内ではなく隣町のアルトにある。正確にはエル・アルト国際空港と呼ばれる。標高4150mにある世界最高標高の国際空港として知られている。酸素濃度が薄いためにエンジンの燃焼効率が悪いとか、揚力発生能力が低いなどの難問があるようだ。
標高が4000mもあると、気圧も低いので、持っていたあめ玉の袋がパンパンにふくれあがってしまう。ご飯はおいしく炊けるのかなぁ。もしかして体重は軽くなっているかも。
そういう町で、これからロープウェイに乗って昼食を食べるレストランに行く。ロープウェイ乗り場は、空港からバスで10分ほどのすぐ近く。2014年5月に開通したばかりだ。
写真は、エル・アルトのロープウェイ乗り場。
現地の人も乗ってくる。
この方は、ここで降りた人かな。
さて、ロープウェイが動き始める。ロープウェイというと、まずは上がっていくもの、と思う。だが、ここは違う。下がっていくのだ。標高4000mともなると、常識が通用しないことも出てくる。
眼下にエル・アルトの民家がぎっしり。
すり鉢状に広がる土地は家ばかり。エル・アルトはラパスの衛星都市なので、どこからラパスなのか、わからない。埼玉、神奈川、千葉、東京を含めて東京近郊と言っているのと同じで、この辺全体が、ラパスだ。
山のほうを見れば、遠くに雪を被ったアンデスの山々が見える。ボリビアでは標高6500mほどの山もあるのだ。
はるか行く手の下のほうに、高層ビル群が見えてきた。
それにしても、このおびただしい民家。エル・アルト市の人口は118万人とあった。ラパスは100万人に満たないようだけど、おおよそのところ、200万人近くが、このすり鉢のまわりに住んでいるのだ。
民家の上をなめながら滑るロープウェイは世界広しといえども、ここにしかないだろう。
ロープウェイはどんどん下りていく。ラパスの中心街の標高は3600mだから、500mほど下りる計算になる。
やはり標高が高いところは、住みにくいようで、お金持ちは、すり鉢の底のほうに住んでいるそうだ。高くなれば空気が薄い上に、坂道を登ったり下りたりしなければならない。
このロープウェイができたおかげで、今まで車で30分かかっていたところに10分で行けるようになったとか。
庶民の足にもなっているようだ。
駅が見えてきた。これは途中の駅で、私たちが降りるのは、その次の駅。そこが終点になる。
駅を素通りして・・・・
これはお墓だって。団地方式のお墓なんだ!
お墓の続き。ラパス最大の墓地だそうだ。
そろそろ終点。
10分間のスリル満点のロープウェイでした。
このようなロープウェイは現在、3本運行されていて、さらに6本ものロープウェイが計画されているそうだ。
ラパスは家が密集しているし、地下には102の水脈があって、地上にも地下にも線路を作ることができないとのこと、バスが庶民の足だったが、それも限界にきていて、窮余の一策としてロープウェイがつくられている。
その地下水脈やアンデスの山からの雪解け水のおかげで、水には困らないそうだ。
今乗った区間は2.4km。現在運行中の合計距離は10kmに及ぶ。ゴンドラの定員は10人、1時間に3000人を運ぶことができるそうだ。ロープウェイとしては、世界最高標高だそうだ。都市交通としてのロープウェイの距離数も世界最高だとのこと。
すごいところに来たものだ。
膨らんだスカートとショール、山高帽、背負った風呂敷の4点セット [マチュピチュ・ウユニ塩湖]
ロープウェイを降りて、さらにバスで中心街まで行き、歩いてレストランに向かう。大型バスでは町中を走れない。町はとてもにぎやかだ。
大都会の繁華街でも女性の膨らんだスカートと山高帽とショール、それに極彩色の模様の風呂敷が、目につく。
下の写真の方は、山高帽、スカート、ショール、風呂敷の4点セット。
膨らんだスカートに大きなショール。
下の写真の右側の方は4点セット、左の方は、帽子がなくて3点セット。
こういう繁華街を歩いていく。
下の方は、山高帽、スカート、ショールの3点セット。かなり上質な感じがする。色の取り合わせも品がいいが、こういうのはめずらしい。
さて、レストランではコカ茶を頼むと、コカの生の葉っぱが入っていた。高山病に効くらしいのでいつもコカ茶を頼むが、生の葉ははじめて。日本では輸入禁止なので、なんだかうれしい。
食事の後は、ラパスの中心、ムリーリョ広場を散歩した。遠くの山には家がびっしりとみえる。鳩の多さに驚く。
赤と白の建物は、大統領官邸。
広場で腰かけているおばさまは、帽子が山高帽ではなくて普通だ。だけど極彩色の風呂敷は地べたに持っている。
ここは、国会議事堂かな。
竪琴を弾いている女性の像がある。これはどうみてもスペインの遺したものですね。このあたりの建物はほとんどスペイン時代に建てられたものだろう。
子どもと遊んでいるおばあさまは、帽子がふつう、荷物も背負ってない。スカートとショールの2点セット。
大統領官邸の前の警備員さんたちは、一緒にカメラに撮ってもいいそうなので、しばらく撮影大会になった。警備員さんの服装がおもしろい。
議事堂の時計がさかさまに時を刻んでいる。ここは南半球だから反対にしている、という説明を受けたが理解不能だ。調べてもわからない。まさか、ボリビアの時計全部が反対にまわっている、なんてことはないですよね。
スペイン統治時代の反動で、北半球に逆らっているような感じを受ける。
女性の服装は、不思議だ。膨らんだスカートや山高帽が、民族衣装としてガイドブックなどには載っている。スカートは何枚も重ねて膨らませているそうだ。今では4,5枚だが、昔は10枚くらい重ねていたとか。
だが、標高4000mのアンデスの山地で、生活感のない、そんな服装が本当に民族服として愛用されてきたのだろうか。もっとも日本の着物も今では日常的な感覚からかけ離れてきているので、もしかしたら庶民の民族服というのがあったのかもしれない、と思って、ネットを検索してみたが、どうもわからない。
ひらひらのスカートはどうも、スペイン統治時代の18世紀ころ、強制されて着せられはじめたらしい。だから、スカートは、当時のヨーロッパ風。ショールも強制かしら。あるいは、スペイン人のお妾さんになる人が多かったようだからスペイン女性の真似をしたのかもしれない。そういえば、スペインの踊り子はカラフルなショールをつけている。
帽子は、まさか強制はされなかったと思う。ヨーロッパの男性の帽子をなぜか女性が真似した、という説はあった。これはうなづける。アンデスは標高が高くて陽射しがきついので、陽射しを避けるためにも帽子は便利だから。だけど、あの山高帽では陽射しを避けるのには適していない。だいいち、頭にちょこんと載せるだけなので、その形を維持しておくのにヘアーピンでがんじがらめに留めておかなくてはいけないだろうから着け心地がよくないだろう。
だが、あの派手派手風呂敷を背負うのは、起源がわからない。
風呂敷はとても便利だから、背負うこと自体は理にかなっていると思う。私も背負いはしないものの、風呂敷愛好家である。大きなバッグから風呂敷に包んだオーケストラの演奏会用の黒のドレスを楽屋で広げると、まわりの人たちが、目を点にしてみつめるのだが、その伸縮自在性はとても重宝するからやめられない。ヨーロッパには風呂敷はないと思うので、アンデスの風呂敷の起源がわかるとおもいろいと思うのだけど。
再び、バスは、こういう路地のある道を登っていってキリキリ展望台に向かった。こういう路地はヨーロッパ風だからスペイン統治時代の遺産は、服装だけでなく生活の隅々にまでのこっているようだ。
キリキリ展望台から見えた月世界の町 [マチュピチュ・ウユニ塩湖]
ラパスの中心街でランチとムリーリョ広場を眺めたあと、向かったのはキリキリ展望台。キリキリとは、煤という意味なんだそうな。昔、この辺に火薬庫があり、いつも煤で汚れていたためにこの名がついているそうだが、今は、入場料をとる公園になっている。標高3700mで、ラパスの町が一望できる。
ラパスの町は、空港から中心街に行くときに、ロープウェイから見渡せたので、だいたい、想像がつく。ロープウェイからは、町のど真ん中からの景色だったが、ここ、キリキリ展望台は、町の高台にあるから、郊外のほうまで見渡せる。
うんと右側の公演入口近辺は、午後4時を回った日の光に照らされて輝いている。
山の上まで家がびっしり。
望遠側で真正面の山をのぞいてみよう。
さらにまわりこんでいくと、黄色のサッカー場も見える。
遠くのほうが低くなっているところがあって、そちらにも高層ビルが続いている。
だが、山の様子がヘンだ。灰色に死んでいる。
ちょっと望遠で。
やっぱりヘンだ。ぎょっとする景色だ。
望遠側でさらに大きくしてみる。
月の世界に町をつくったらこうなるのではないかという光景がひろがっている。あるところから先は家がなく、灰色だ。そこだけは生物が死滅したかのように見える。地殻から毒ガスでも出てきたのかもしれない。
右側にカメラを移して。
もっと拡大。
晴れ渡っていて、光も強いので、遠くまで写せるのがうれしい。
さらに低くなっている奥の遠くのほうもみてみる。
荒れた山と、カラフルなビルとのアンバランスは、いったいなんなのだ~。
もう一度、真正面に目を戻して、山の様子がおかしくなっているところを確認する。写真真ん中から左方向へ向けて、山の土質が変化していっているのがわかる。あのあたりからさらに左方向の低地へ向けて、山は月世界状態になっている。
そのあたりをさらに拡大してみてみると、右側は住宅地としてかろうじてOKらしくて、左側は土地が荒れている。
あとでわかったことだが、月の世界に見えたところは、「月の谷」と呼ばれる観光地だった。土壌の浸食でできた地形らしい。月の谷とは、よく名付けたものだ。これもあとでわかったことだが、なんと私たちの今夜のホテルは、その近くだった。ここ、キリキリ展望台は標高3700mだが、ホテルの標高は3300mなので、400mも低い。少しでも高山病の危険性が減ればそれにこしたことはない。月の谷近辺の荒れた土地にカラフルな高層ビルが並んでいた理由が解明できた。
さて、また元の風景のところまで戻る。ラパスらしい密集した住宅が並んでいる。
また入口方向に戻っていくと、傾いた太陽の光で家々はいちだんと輝いていた。
お花で記念写真。
もう1枚、金魚草とラパス。
ラパス郊外のホテルは標高3300m [マチュピチュ・ウユニ塩湖]
ラパスのキリキリ展望台から、最後の記念写真を。丘の上までびっしりと詰め込まれた建物を背景にさわやかなデージー。
再びバスに乗って、めざすはホテル。富士山なみの標高3700mのキリrキリ展望台からホテルは、標高3300mなので、400mを降りることになる。
さて、夕方の5時過ぎにホテルに到着した。
素晴らしい部屋と景色に驚いた。リビングのソファや食事のできるテーブルがあり植木鉢まで置かれている。
右の開いているドアが入口。その横に冷蔵庫とキッチン。
レースのカーテンを開けると、素晴らしい景色が見える。キリキリ展望台から見た月の世界と同じような岩が見える。住宅がかなり上のほうまで建っている。後で聞いたことだが、これらの住宅は違法建築だとのこと。建築してはいけない場所らしい。多分地盤に問題があるのだと思われる。ぎざぎざの山は浸食がはげしくてどんどん姿を変えているということを聞いた。それにこの景観は観光資源でもあるので、みだりに汚してはいけないということもあるだろう。
夕日が明るく町を照らしているものの、背後の山々はなんとも不気味な様相をみせている。
気になるぎざぎざのところを拡大してみよう。驚いたことに山の上にぽつんぽつんと家が建っている。観光客用のレストランでもあるのだろうか。
別の窓からものぞいてみる。こちらは夕日をまともに受けているせいか、精悍な顔つきの山になっている。
おしゃれなビルと山とのアンバランスもここなら許されるかも。
上の写真のさらに左側。住宅が山裾を這い上がっている。
夕飯まで時間があったので、近くのスーパーまで行ってみた。どこに行くにも坂道を下りるか登るかのどちらかだ。どっちにしても少し歩いただけで息が切れてしまう。標高3300mとはこういうことか、と思い知らされる。結構安全な町のようなので、散歩でもしたいところだが、これだけ息がきれると歩く気もしなくなってしまう。少し歩いては、深呼吸を繰り返す。エベレストには登れないなぁ、残念だけど。
地元の人たちの心肺機能は、高地に適応しているそうだ。日本のスポーツ選手も高地トレーニングをやったりしている。
それでも標高3600mのラパスの中心街からは、さらに300mも標高が低いところのホテルでよかった。こうなると、100mでも低いほうがいいように思う。ボリビア方面を企画するツアー会社が、標高の低いところにホテルをとったことを売り文句にしていることが身に染みてわかる。
さて、夕飯だ。
食事にはいつもお米が出てくる。米粒が長くて、日本のお米とは様子がだいぶ違う。いわゆるガイマイの顔をしている。お米だけは外国では食べられない。必ずパンも出てくるから主食に困ることはないのだが。ここは標高が高いから、お米はちゃんと炊けているのだろうか。圧力釜を使えばいいのかな。
ボリビアの人たちは、いつもお米を食べるのかしら。ヨーロッパやアフリカでも、お米がいつも出てくるということはなかったのだけど。
調べてみるとボリビアの主食はパン・ジャガイモ・トウモロコシとある。お米を作るとなると水田を作らなければいけない。水田らしいものは見えなかった。
ホテルの食事にお米が出てくる理由として考えられるのは、まずひとつには、日本人向けの特別料理として出されているのかもしれない。次に考えられるのは、お米は高級な野菜として扱われているのかもしれない。
調べてもわからないことばかりだった。
デザートでこういうフレッシュな果物が出てくるとうれしい。アラカルトで盛っているお皿を見比べると、お隣の方と、中身がずいぶん違ってしまっていることがよくある。お隣はバナナが入ってなくてメロンの緑が中心になっていたりするのだ。日本のレストランではこういうことはない。盛り方はかなり厳密である。だが、こちらでは、結構適当に盛っているのがおかしくて笑ってしまうことがあった。
明日は、いよいよ、ウユニに向けて出発する。朝4時起きだ。
ラパスからウユニへ、夜明け前の大地 [マチュピチュ・ウユニ塩湖]
観光7日目
ラパスのホテルで午前4時に起きた。朝食は簡単なパンとコーヒーくらいをホテルが用意してくれていたが、朝、早すぎてとても食べる気になれないので、パンをナプキンで包んで飛行機で食べることにした。ホテル出発は午前4時40分。
せっかくの広い部屋のホテルだったのにゆっくりできなくて残念。
飛行機は午前6時45分発。1時間もかからないフライトだ。距離にすると、羽田、大阪間より短いかもしれない。
ラパスの町は、夜明け前の薄闇の中でまだ眠っていた。
雲を突き抜けると、山が光っていた。ボリビアの山は6000m級だけど、飛行場自体が標高4000mなので、そんなに高い山には見えない。
あれ~、別の山?
しばらくすると、大地が見えてきた。だが、どのような地形なのか判別できない。白いのは、塩かなぁ。雲かなぁ。
茶色のところは規則正しくなっているから畑だろうか。よくみると、粒粒がみえるから、これが民家のようだ。
次の写真の白いものは、明らかに湖の塩ではないだろうか。だけど、ウユニ塩湖は、まだのはず。茫洋としたとらえどころのない大地が広がっている。雨季もそろそろ終わり、乾季にかわりつつあるので、湖も水分が少なくなってきているのだろう。
ここは確かに湖だろう。淵がやはり白い。まさか波立っているわけでもないだろうし。
水と塩と土の色が場所によって交錯しているのだろう。美しい色合いが少しずつ変化していく様子はみていてあきない。
地図で見ると、やはりウユニ塩湖とラパスの間に大きな湖がある。それも塩湖なんだろうか。グーグルアースでみてみると、写真によく似た色合いの湖になっていたから位置はあっているようだ。
まだ日の出前。水が干上がった後に塩が残っている様子がだんだんはっきりしてくる。
見とれているうちのあっという間に、ウユニ空港に着いてしまった。到着は午前7時25分。雲が垂れ込めている。だけど、飛行機から大地は見えていたではないか。お天気はどうなんだろう。
小さな飛行場だ。ここに世界中の人々がやってくる。急激にウユニ塩湖の人気があがって、観光の受け皿が間に合わないということを聞いた。この空港もそのために2012年に新しく造ったばかりで新しい。
飛行機はまたアマゾネス。まだ日の出前。
飛行場の屋内に入ってまず目に付いたのが、診療所。なぜこんなところに診療所があるのかはすぐに理解できたが、少し不安にもなる。。ここは、標高3600mなのだ。きっと具合が悪くなる人が多いのだろう。
ウユニ空港からは、運転手を含めて4人乗りの四駆が交通手段になる。空港にはその車が待機していた。
さぁ~、これから楽しみ~。見渡す限り塩の世界が見れる!!!!
日の出はどうなったんだろう。心待ちしていたが、なんとなく日があがったようだった。
ウユニ塩湖の湖畔にビクーニャ [マチュピチュ・ウユニ塩湖]
さぁ、これからウユニ湖!!
と思ったら、スーツケースが飛行機に乗っていなかった、という事件が起きた。
というより、重すぎて乗らなかったから、荷物は次の便で運ばれるということだった。アマゾネス航空会社、戦闘女族アマゾネス、がんばれ~。
さぁ、どうするか。
飛行場には、なんにもなくて、時間のつぶしようがない。添乗員さんが近くのホテルにかけあってくれて、そこで次の便がくるまで2時間待つことになった。旅のハプニングは大いに楽しむべし。だけど、今朝の4時起きの頑張りは、これで帳消しだ~。
平屋の真ん中の共有スペースの両端には客室が並んでいる。日本でいうとユースホステルといった感じ。とてもホテルといった雰囲気ではない。お茶は飲み放題にしてくれたので、下の写真の椅子に座って、コカ茶を2杯飲んだ。
ホテル内をみて歩いても小さいのですぐに見終わってしまう。
外に出てみても歩き回れる雰囲気ではない。
山高帽に、ショール、膨らんだスカートに派手派手風呂敷を背負っているというボリビアの典型的なお姉さんが通っていて、目を楽しませてくれることもあったけど、2時間は長かった。
ようやくのことで、スーツケースが届き、ウユニ塩湖へ向かって出発。
しばらくすると、車が停まった。列車の墓場があるから見ていく、という。
観光メニューにはなかったのだが、現地ガイドさんとしては、大サービスのつもりだっただろう。鉄道ファンならよだれを流して喜ぶところだ。もっともウユニ湖へのツアーコースに明記されていることも多い場所だ。
この鉄道はイギリスが敷設したものだそうだ。銀などの鉱物資源を海外に運ぶためのものだったが、チリとの国境争いで、太平洋の出口を失ったために、ボリビア国内での輸送に使われていたが、資源も算出しなくなった1940年代以降は、放置されたままになっている、ということらしい。
こういうものも観光資源になるのね、とは思うけど、早くウユニ塩湖をみたいので、気もそぞろになる。
今晩のお泊りは、塩でできているというホテルだ。そこで、長靴に履き替えなければならない。ウユニ塩湖には水が張っていて、普通の靴では行けないのだ。そのためにわざわざ長靴を買ってスーツケースに入れてある。だからスーツケースが到着しないことにはウユニ観光にも行けなかったのだ。
車で40分くらい走っただろうか。小さな村があったりする。この近辺は観光業で成り立っているのだろう。雪を被ったアンデスの山が見える。ここは標高3600mだから、山は6000mはあるだろうか。
地平線の遠くに白く見えるのは、塩だろう。このあたりは、砂漠みたいだ。塩分が多くて植物が育たないのかもしれない。
アルパカのような動物の群れがいた。飼っているのでもなさそうだ。
だが、正直なところ、アルパカ、リャマ、ビクーニャの違いはわからない。パタゴニアで見たグアナコともそっくりだが、写真の動物よりグアナコは大きめだったので、これはグアナコではない。いずれもラクダ科に属する親戚同士のようだ。
さらに調べると、ラクダ科の中で、アルパカとビクーニャはビクーニャ属、リャマとグアナコはリャマ属となっていた。はっきりした違いを確認できなかったが、アルパカのほうは、家畜化もされたりして、首回りがずんぐりしている。いっぽう、ビクーニャはほっそりしていて、姿が美しい。
下の写真、これは本当にビクーニャじゃないかしら。ビクーニャは、アンデスの高地に生息する。ちょうど、このあたりではないか!! その毛は動物の中では一番細くて、高級品なので、乱獲されてきた、ということを聞いたことがある。だったら羊のように家畜化して毛を採取すればいいように思うのだけど難しいのかな。
左はペルーの国章に描かれているビクーニャ、右は、ボリビアの国章に描かれているアルパカ、鳥はコンドル。ビクーニャもアルパカも国を代表する動物なのだ。
さて、列車の墓場から1時間弱で、ようやく今晩泊まるホテルに着いた。塩でできたホテルといううたい文句なので、興味津々だ。入口はあっけないほど小さい。
土地はたっぷりあるから全部平屋のようだ。外装は塩ではないように見える。
ホテルの前には砂漠が広がっている。いや、砂漠ではなくてウユニ塩湖の端っこなんだろう。下の写真右下に、さっきのビクーニャらしき動物が3匹、草を食んでいる。このあたりは塩分が多くて草が生えないから、草をみつけるのも大変だと思う。
ホテルの屋内に入る。天井の窓から自然光が入っている。ここはホテルロビーだ。
ホテル受付の隣は、客用の団欒スペースになっている。壁やテーブルは岩塩の岩でできている。なるほどね、塩のホテルってこうなんだ~。塩といっても固まっていて岩とおんなじなんだ。
さて、ホテルの部屋にはまだ入れないので、ホテルのロビーでスーツケースを開けて長靴を取り出す。
いよいよ出発~~。
長靴を持ってこなかったツアー仲間もいて、その人たちは、ここから車で20分ほどのところにある別のホテルで長靴を借りた。下の写真はそのときに立ち寄った塩のホテル。私たちが泊まるホテルより数段大きくてきれい。
塩でできたホテルといううたい文句が日本で爆発的にヒットし、水たまりも観光資源になるということに気が付いた5年ほど前から急ピッチで塩でできたホテルを建築しているが、とても需要には追いつかないらしい。このホテルも真新しい。現在、塩でできたホテルは3軒ほどしかないそうだ。
以前は、ウユニ塩湖というと、乾季だけが観光シーズンだったが、水たまりのおかげで、今では雨季も観光シーズンになり、そのためにウユニは大発展をとげつつあるのだ。雨季の観光コースを開発したのは、5年ほど前、日本の某旅行会社だが、あっというまに他の日本の旅行会社も真似をはじめた。だからここは日本人が多い。テレビでも天空の鏡と称して特別番組が組まれたりしている。まだ日本以外の旅行客は少ないように見える。
岩塩を切り抜いてれんがのように積み上げていった柱。水に濡れても解けないそうだ。このあたりには木もなく、石もないから建築素材になるのは塩の固まりということらしい。
塩の岩は大理石のような色をしているが、ざらざらとした表面を残していて、なかなか趣がある。
この岩を研磨したらぴかぴかの大理石みたいになるのだろうか。だが研磨したものは、ついにお目にかからなかった。研磨すると、摩擦熱が発生すると思うが、その熱で岩は溶けてしまうのかもしれない。調べてみたが、わからなかった。
豊かな表情のウユニ塩湖 [マチュピチュ・ウユニ塩湖]
四駆に分乗して、いよいよウユニ塩湖の探検が始まる。
塩と土と水が入り混じったところを猛スピードで走る。道はあるんだかないんだか、わからない。運転手さんはどうやって方角がわかるのだろう。
水が溜まっていたりすると、雲を映してきれい。
水と土と塩がみぞれ状態になっていたりもする。
塩の上のあちこちに水たまりができていてとてもきれいだ。ブラジルのレンソイス白砂漠のようだ。いつか行きたいと思って、よく写真を眺めている。レンソイスはこれを巨大にしたような感じだと思う。もっともレンソイスは塩ではなくて白い砂だ。水はコバルトブルー。
水が少ないところもある。今は雨季から乾季に向けての端境期なので、水がなくなってきているのだろう。
ここは全部、塩。6角形ができている。自然界のものは収縮や膨張を繰り返すと、6角形になっていくということを以前調べたので、少し理解できるが、実際にみてみると改めて自然の凄さを感じる。走っている車から撮ったのでうまく撮れないけど、この6角形の写真をきれいに撮りたいものだ。
やがて車は水の中に入っていく。いつ水ばかりになったのか気づかないほどだった。
遠くに車の屋根に上っている人がいたので、望遠側にまわして撮った。
さて、さて、私たちも車を降りる地点まできた。
まずは記念写真。
下は、ツアー仲間。長靴をはいて、水の中をぽちゃぽちゃと歩いている。水は10cmもないくらいだ。
ホント、空と水が一体になっている!!
水の張ったウユニ湖でランチ [マチュピチュ・ウユニ塩湖]
長靴を履いて水の中を歩くのは楽しいものだ。ぽちゃぽちゃという音も心地いい。歩くと少し抵抗感のある足元を感じながら、うきうきと歩き回る。
水は透明で、底の塩が白い。長靴といっしょに塩も写しておこう。
塩が真四角に結晶しているのが、角度によって光っている。塩の結晶は、すぐつかめそうにみえるが、固く大地にへばりついていてとれない。とがった小石と同じ感触だ。これでははだしでは痛くて歩けないだろう。
みんな、さっそくトリック写真で遊び始める。
遠くに車が停まっているのを背景にして、車を手のひらにのせたようにとっている人がいたので、便乗した。
手前の赤い人がカメラで、手のひらに車をのせた写真を撮っている。それを横から写したが、車の位置が2の腕になってしまった。トリック写真はモデルと撮る人の呼吸を合わせて微妙な調節が必要なのだ。
水の上で遊んでいるうちに、運転手さんたちが、ランチの支度をしてくれて、水の上で食事になった。
ビュッフェスタイルになっている。テーブルに赤いクロスまで用意して、ちょっとリッチなムードを作っている。
食事の後は、また景色を楽しむ。
カメラ遊びは、今度はUYUNIというアルファベットを水に映し出そうとしていた。
湖面にUYUNIの完成。
ペットボトルと一緒に写してみたが、これはうまくないね。
さて、のんびりと歩き回ったあと、再び車で移動。
途中にモニュメントが見えた。塩の岩でできている。右の旗はボリビア国旗、左はウユニのあるポトシ県の旗。
塩が6角形に結晶した水のないところを通ったり・・
水たまりのあるところを通ったり・・・
黒い小さな山に見えるのは、塩田の山がくずれたものだと思う。
塩と土と。
ウユニ塩湖に塩田 [マチュピチュ・ウユニ塩湖]
水の上でランチの後、また車で移動。今度は水のないところで下してくれた。
六角形を間近で見てみたかったのでうれしい。淵のところは塩が盛り上がっている。硬くて、車が通っても形がくずれたりしない。大自然はすごいことをするものだ。
以前、ここ
http://violine.blog.so-net.ne.jp/2014-01-19
とここ
http://violine.blog.so-net.ne.jp/2014-01-20
にも書いたが、六角形は、自然界のスーパーヒーローだと思う。
平面を無駄なく覆うことができる多角形は、三角形、四角形、六角形しかないのだが、六角形はその中でも、一番効率がいい。だから伸縮を繰り返すと、六角形になっていくというのはわかる。
だが、なぜ、ほとんど同じサイズの六角形になるのかがわからない。
蜂の巣、サッカーゴールの編み目、雪の結晶、カルボキシル基、アイルランドのジャイアンツコーズウェイコーストや東尋坊の岩など、六角形のものは世の中に多くて、それぞれの理由を調べていくとおもしろいと思う。
ここの6角形は人間の背丈の半分くらいの大きさだ。
だいぶ陸地に近づいたようだ。雪をかぶったアンデスの山が見える。下の白いのは塩。水ではなく。
またトリック写真がはじまった。
今度の完成形はこちら。
寝そべっているのがカメラの人、カメラの目の前にりんごをぶらさげている。少しはなれたところに、りんごを持ち上げる人、の構図だ。
次は、靴で人間を押しつぶそうとする図。
寝そべったカメラ担当、足で踏みつぶす人、助けて~という人、でできる構図。
なるほどね、こういうトリック写真は、乾いたところじゃないとできない。
トリック写真もいいけど、人のいない広々とした風景はもっといい。
また車で、今度は塩田。
塩なんて無尽蔵にあるのにどうして塩田を作るのだろうと思うけど。食べる塩は水を干して作ったほうがいいのかな。ひとつの大きさは人間の半分くらい。
岸が近づいてホテルがみえてきたが、これは私たちの泊まるところではなく、新しくできたもの。
水が少なくなっている干潟状態の風景も素晴らしい。遠くに塩田の跡が残っている。
ようやく私たちのホテルが見えた。車の後部座席から撮ったので、フロントガラスなどの汚れが入ってしまっている。結構大きいホテルであることがわかる。増築を積み重ねた様子が見て取れる。
ホテルの写真なんて、歩いて撮りにいけばいいとは思うのだが、ここは標高3600m。歩くと息が切れる。塩の上では気も張っていて、なんとか歩いてはいたが、ホテルに着いたらどっと疲れが出る。
さて、しばらく休憩して今度は夕日を見に行く。
夕焼けのウユニ塩湖 [マチュピチュ・ウユニ塩湖]
夕方の午後6時に夕日を見に行った。夕日なんて、ホテルからでも見えるのだが、湖面に映る夕日をみようというわけだ。車は塩でみぞれ状態の湖面を猛スピードで走る。
水が張ったところまで到達した。光が弱くなった夕方は一段と陰影が濃い。
まだまだ水の中を走る。
夕日鑑賞ポイントに到着したところで、記念撮影。まだ太陽が明るい。
ツアー仲間も車から降りてくる。1台の車は3人乗り。
太陽の左方向は、白い雲の下に灰色の雲がたちこめている。夕日に染まるかなぁ。
遠くにも車が停まって、日没を待っている。カメラを望遠側にまわして、かなり拡大した。車を鏡の上にでも置いたようにみえる。
あちこち歩きまわり、写真を撮る以外、やることもない。こういう時間の過ごし方は本当に久しぶりだ。
遠くにも夕日を眺めている人がいたので、思い切り望遠にして撮ってみたり・・・・・
ツアー仲間もカメラを持ってうろうろ。
あっちいったり・・・
ポーズをとったり・・・・・・
大分お日様が地平線に近くなった。
また、うろうろ・・・
お日様はまだ沈んでいない。
太陽と反対側の雲が赤くなり始めた。
もうすぐ、太陽が隠れる!!
最後の輝き・・・・・
残照のウユニ塩湖 [マチュピチュ・ウユニ塩湖]
太陽はとうとう沈んでしまった。
もうカメラを向けてもまぶしくない。
名残惜しいので、望遠側にまわしてみても、黄金の光が残るだけ。
だが、太陽と反対側は、まだまだ明るい。
すっかりなりをひそめた太陽。
黄金の光が濃くなっていく。
太陽の左側にあった雲が赤く染まっていく。低く垂れ込めた雲は、やっぱり赤くならない。
遠くにいる車がほんのりピンクなので、望遠側に拡大してみてみる。夕焼けの残照で、おもしろい色が出るものだ。
太陽の名残も闇につつまれはじめる。
だけど、太陽と反対側は、まだまだこれから。
もうみんな太陽のあった方角をみていない。新しくはじまった天空の一大イベントに目を向ける。
こんなに雄大な赤い雲をみたのははじめて・・・・・
太陽の左側もピンクに染まっていく。
天空を羽ばたいている火の鳥が、ひときわ、おおきく羽ばたく。
火の鳥は、やさしいピンクに変わっていく。
もう火の鳥もお休みの時間かな。
幕は下りました・・・・
さぁ、帰ろう。
おなかがすいた・・・・
暗くならないうちにかえらなきゃぁ・・・・
日の出のウユニ塩湖 [マチュピチュ・ウユニ塩湖]
観光8日目
朝の5時半にウユニ塩湖の日の出を見に行った。
遠くには、もう日の出を待っている人たちが見える。
昨日、夕日が落ちて行ったあたりは、夜明け前の静けさの中で眠っている。
待っている間も、さすがに冷える。カメラ遊びもまだ元気が出ない。湖面が波打っているように見える。
なかなか、事態が進展しない。
その原因は、太陽が昇るあたりに、黒い雲がたちふさがっていることにあるらしい。車も人も太陽を待ちわびて一列に並んで待っているのが見える。
ちょっと望遠で撮ってみたら日本画みたいになった。
もう、帰ろう、と言い始めたとき、少し、光があがってきた。
お~~っ、日の出だ~。
今日の輝かしい1日を予感させる光が湖面を照らす。
まずは、記念写真を・・・
下写真の右側に長い棒のような影があるのが、私、Ada。
水が浅くて、塩の結晶が顔を出していて、それがきらきら光っている。
急にあたりがそわそわとしはじめて、記念写真を撮り始める。
ここは、湖面が浅いが、少し向こうは、コバルトブルーの水だ。
陽が昇ったので、また車で引返す。なんだか、あっけない。
水はどんどん浅くなっていくようだ。塩が輝いて見える。
まるで雪道みたいなところも。
小高いホテルに到着したのは7時15分。雲のおかげでずいぶん時間がかかった日の出だった。
インカワシ島でミニ登山 [マチュピチュ・ウユニ塩湖]
ウユニ塩湖のど真ん中にインカワシ島という島がある。今日のメインイベントはサボテンが自生するその島を見ることだ。
途中、湖の岸辺にあるコルチャニ村で製塩工場を見学した。工場といってもウユニ塩湖の塩田で干した塩を持ってきて、さらに乾燥させるだけなので、いたって簡単なものだ。
その後、ウユニ塩湖をまっしぐらインカワシ島に進む・・・のではなくて、途中で「塩湖の目」と呼ばれている場所を見る。
アンデスから流れてきている地下水が湧きだしていて、ぶくぶくと泡を出している。まるで温泉みたいだ。
手を入れてみたが、熱くはなかった。鉄分を含んでいるらしく、まわりが茶色になっていた。塩の岩が茶色に染まるだろうか。
車はインカワシ島へ到着した。
塩湖のほうに、テーブルと椅子のセットが並んでいる。岩塩を四角く切って積み重ねている。まさに塩でできたダイニングセット。今、ここは乾いているが、雨季の最盛期には、ここは水が張っているらしい。それでも椅子は溶けないのね。
島には大きなサボテンがいっぱい。
島に上陸して、塩湖を見る。遠くに小さく見える車が乗ってきた四駆かなぁ。
塩湖といっても水がはっていないので、島に上陸というニュアンスとは異なるのだけど。
ウユニ塩湖は、四国の半分くらいの大きさで、そのほぼ真ん中にインカワシ島がある。
下の地図がウユニ湖。右に空港のあるウユニ村や、製塩工場のあったコルチャニ村の名前が見える。
ウユニ塩湖は高低差が50m以下という、世界で最もフラットな広がりのある場所だ。
その塩湖の中で一番大きな島が、このインカワシ島。
インカワシの名前はインカの家、という意味だそうだ。地元の人たちは、ワにアクセントをつけていた。
インカワシ島は、大昔、海の底だったので、サンゴでできている。
これから、このインカワシ島のてっぺんまで登る。
たかだか40mの高さだから普通だったらどうということもないのだが、そもそも、ウユニ湖の標高は3670mなのだ。
富士山とほぼ同じくらいの高さのところを歩くのだから大変なのだ。
一歩進むたびに、深呼吸をして酸素を取り込まないと息が切れる。空気がうすいことを実感する。
巨大なサボテンの間をぬって、一歩一歩登っていく。
10mくらい登っただろうか。休憩所が小さく見える。
つぼみをつけたサボテン。花期ではないらしく花はほとんどなかった。
もう30分以上歩いているのではないだろうか。いつまでたっても頂上に着かない。そんなに高い山ではなかったはずなのに。
サボテンの幹で作られた矢印。まわりの岩はサンゴ礁の残骸。20万年ほど前の海が閉じ込められたまま隆起して、塩とサンゴ礁が残っているのだ。
40m登るのって、こんなにきつかったっけ。
ようやく山頂に到着。見渡す限り塩だらけ。一番手前にかたまっている車が、私たちの乗ってきた車。ほかにも、車が何か所かに停まっている。
だけどですねぇ、塩だらけの景色って変化に乏しくて美しいという感じではないわねぇ。すごいところだけど。
サボテンの島を見ながらランチ [マチュピチュ・ウユニ塩湖]
インカワシ島の半島。塩ばかりの平原にサンゴ礁の残骸がつきだしている。
水が無くて塩ばかり、というのは異様な光景だ。水のある風景がどれほど貴重なものかということを感じないではいられない。
20万年前のサンゴ礁はトンネルを作っていたりして奇岩の風景もある。トンネルを通り抜ける人たちもいたが、たかだか数mを登るのも息が切れてしまって、動けない。
サボテンばかりという風景も異様だ。
やっと塩湖まで下りてきて、ランチ。インカワシ島ミニ登山の間に運転手さんたちがテーブルをセットしてくれていた。ビュッフェスタイルで食べたのは、りんご、オイルサーディン、チーズ、煮野菜、じゃがいも。飲み物のコーラがとてもおいしかった。コーラを飲むのは何年振りかだったのだけど。高地にはあうらしい。あら、フォークの向きがさかさまだワ~。
遠くをカメラの望遠側でのぞくと、素敵なパラソルの下に白い椅子カバーをつけた椅子が2つとテーブルのセットが見えた。新婚さんかなぁ。
別の方向を見ると、テーブルが3つ。とってもおしゃれにセッティングしてある。
ランチの後は、ホテルに戻るだけ。
インカワシ島がみえなくなったところで、休憩した。ここの六角形はきれい。
ランチの場所も六角形になっていたけど、陽が少し傾いてきたので、陰影が出てきてわかりやすい六角形になっている。
なぜこんなにきれいに六角形になるのだろう~~~。
平面を覆い尽くすことができる正多角形は三角形、四角形、六角形しかなく、中でも六角形は、円にもっとも近く、ひとつあたりの面積を最大にできる。だから膨張や収縮を繰り返すと六角形になっていく、というところまではわかった。たんぼの土はなぜ六角形にひび割れるか、という答えでもある。
だが、なぜ、この大きさになるのだろう。ウユニ塩湖の他の場所の六角形もほぼ同じ大きさだった。だが、アイルランドのジャイアンツコーズウェイにある六角柱はウユニ塩湖の半分くらいの大きさだ。たんぼのひび割れの六角形もウユニ塩湖のよりうんと小さいと思うけど。
アイルランドは溶岩だし、ウユニ塩湖は塩、という違いはある。アイルランドは海辺で標高0m、ウユニ塩湖は標高3700mという違いもある。六角形の大きさに関係してくる要素はなんだろう。
本当に不思議だ。写真右側に車が走ったあとが見える。車が走っても、六角形の線は消えないほど、塩は硬く固まっている。
6角形のなぞは深まるばかり。記念写真を。
またトリック写真を撮る人も・・・。
もうだいぶ、飽きたけど、最後の1枚。
再び豪快な夕焼け [マチュピチュ・ウユニ塩湖]
インカワシ島から戻って休憩したのち、今日も夕焼けを見に行く。水のたまった塩湖をみるためには、雨季に訪れるのがよく、雨季だと晴れが少ないということでもあるので、夕焼けを2回見に行くことになっていると思う。どちらかが当たればいいのだ。だが、今はちょうど、雨季と乾季の境目、3月初旬だ。水もたまっているし、お天気の確率もたかくなっている、ということだ。
で、結局、2日間とも盛大な夕焼けをみることができた。
四駆は雪原のような塩の上を疾駆する。みえている車は、同じツアーの車。だいたい、車なんぞ、お目にかかることはほとんどないところなのだ。
水のあるところまで行く。遠くに車が見えたので望遠側でのぞいてみると、夕焼けを待っている人たちが見えた。
別の方向では、車は1台だけ。車の屋根に人が登っている。
こういうところに1台で、しかも一人でくるのは、かなり危険なのではないかと思う。塩で車が故障しやすいだろうし、道はないし、方向感覚がなくなるので、立ち往生してしまいそうだ。
これはツアー仲間。
まだお日様は健在です。
まだまだ・・・・
まだまだ・・・・
最後の光を放っています・・・
とうとうお日様は沈んだ。
お日様と反対側の空は赤く染まった。
お日様の光の余韻が濃くなっていく。
もう何万年も同じようにお日様は沈んだと思うけど、1日だってまったく同じ空だったことはないだろう。
遠くの夕焼け見物の人たちもまだ夕日の余韻をかみしめているらしい。
望遠側でみると、ド派手ポーズの人もいる。
車の屋根にいたお兄さんはどこへいったのだろうか。
私たちも真っ赤に染まって・・・・
赤いいろから暗い赤に変わってきている。
もうお日様のいらしたあたりは緞帳が下りてしまった。
お日様のまわりの雲も眠たそう。
私たちも車に乗って戻る。
塩と水の入り混じったところがピンクに映えている。
雪原のようだけど、塩の原。
名残を惜しんでいる人たち・・・・。こういうところで人影をみることはまずないと思うのだけど・・・・
塩でできたホテル [マチュピチュ・ウユニ塩湖]
今、日本では塩でできたホテルに泊まる、ということが大人気になっている。ペルー、ボリビア観光といえば、以前はマチュピチュ、チチカカ湖、ナスカ地上絵が3点セットになっていたが、今やチチカカ湖にかわってウユニ塩湖になっている。
ウユニ塩湖も5年くらい前までは乾季だけだったのが、雨季が主な観光シーズンに代わってきた。鏡張りの湖と塩でできたホテルの2つが主な売り出し文句だ。急に売れ始めたので、塩のホテルは部屋数が不足し、ホテルが新築されたり、増築されたりしている。
私たちが泊まったホテルは、ここ。写真では見えないが、右側、後ろと大きく広がった1階屋だ。
ホテルの各部屋の前には、共有スペースがあり、くつろぐことができる。
共有スペースは、塩の壁で仕切られてはいるが、窓ガラスがあるわけでもなく、開放的な空間になっている。壁があるのは、建築構造上の問題のためだと思われる。
塩の壁は、岩といってもいいようなブロックを積み重ねている。岩なので、濡れても解けない。ざらざらした感触をそのまま残している。
空間の真ん中にはテーブルが置かれているが、これも塩のブロックを重ねただけ。
ブロックをずらして無造作感を出しているのも。
向こうの部屋にはハンモックが吊ってある。
ストーブだってある。ストーブは多分鉄だろう。外の景色は、砂漠が広がっているように見える。きわめて無味乾燥だ。
からっと明るい雰囲気があって、居心地がよさそうだ。
低い壁の上には、いろいろな置物があって、みていて楽しい。塩のブロックをくりぬいて造った入れ物や、球。
籐椅子が置かれた広い空間もところどころにある。
床は真っ白の塩。塩はくだいていて、5mmくらいの粒粒になっていて、歩き心地もいいし、見た目もさわやか。だけど、掃除はどうするんでしょうね。掃除機をかけると粒粒の塩を吸い込んでしまうだろうし、ほうきで掃くこともできないと思う。もしかして掃除などしないのかもしれない。塩を新たにまくとか、塩を入れ替えるほうが簡単なようにも思う。
もっとも床が塩ではなくて、普通のホテルの床だったら、ウユニ塩湖で水につかった長靴やズボンが塩で真っ白に汚れているので、床も白く塩が残ることになってしまうだろう。ここは痛しかゆしかもしれない。
なにしろズボンは洗濯しないと穿けないほど、水の飛沫が乾いて塩だけが真っ白に残っている。カメラもだいぶやられたかもしれない。上着も捨ててもいいものを持っていってよかった。とにかく足の先から頭のてっぺんまで塩まみれ。
そしてホテルの部屋。壁は塩のブロック、ベッドもブロックを積み重ねている。床はざらざらの塩。
バスルームに続くところには塩の岩をくりぬいたような机が置かれていて書き物ができる。
だが、この部屋には1泊しかしなかった。1日目は部屋割りのときに一番ビリのくじをひいてしまい、物置部屋を急きょ客室にしたといったところになった。そこは塩の壁でもなく、とても客室と呼べるような部屋ではなかった。客数の増加のためにそのような部屋もそっとツアーにもぐりこませているとしか思えない。部屋を替えてくれるように頼んでも満室でだめだった。その部屋はホテルのすみっこにあった。なので、食堂や玄関からは一番遠いところになる。ホテルは1階建なので、とても広い。ここは標高3700mだから、一歩進むのにも深呼吸をしながらゆっくりと歩かなければならない。だから食事のために部屋を出て食堂にたどりつくのに10分ほどかかってしまう。これには閉口した。
下の写真は、夕焼け見物から帰ってきたときのもの。外が夕焼けの名残をみせている。
食堂。
空からみたウユニ塩湖とアンデス高原 [マチュピチュ・ウユニ塩湖]
観光9日目
朝5時にウユニ塩湖湖畔のホテルを出発し、空港へ向かう。もう帰るのだ。南十字星がまだ輝いていた。
途中でウユニ村を通った。まだ村は寝ていた。日中は観光客でにぎわっているはずの町の中心だ。
そこの道路も6角形で舗装されている。6角形は自然界だけでなく、人工物にも多い形状なんだ。人工的な6角形は、なぜ6角形で、なぜその大きさなのかがよくわかるから不思議ではない。
空港に到着すると、空が明るくなり始めた。
7時過ぎには搭乗。
どこに行っても、またくるからね、と思うのだが、ウユニだけは今回が最初で最後のような気がする。標高3700mはやはりこたえるから、もう来れないかもしれない。
飛行機が飛び立つとすぐにウユニ塩湖が見えた。四駆で走り回ったから土の色や塩の色、水の色の織り交ざった湖は肌の感覚でとらえることができる。往きの飛行機から見たときは、なんだ、これは~と思ったのだった。体験することは重要なんだとつくづく思う。
飛行機の窓ガラスが傷だらけで、写真に写ってしまう。アマゾネス航空、ガンバレ。
土の色にまざって判別しにくいが、写真の真ん中あたりに集落が見える。
大きく撮ってみた。どこかよくわからないけど、コルチャニ村かもしれない。
ウユニ塩湖は雨季が水たまりになって、乾季は水が乾いて塩の原になるのだが、3月初めは、ちょうどそのはざまになっていて、湖も水があるところとないところがある。空からみると、それがよくわかる。
あっというまにウユニ塩湖は通り過ぎた。
今度は理解不能な地形だ。地球にしわができているみたいだ。
写真の真ん中あたりに集落がある。大規模に模様の入った地形をみると、人間の営みはなんとつましくささやかなものなんだろうと思う。
大きな平野が広がっていて、川も流れているが、ここは標高4,000mなのだ。
下写真の鼠色のリボンがなびいているように見えるのは、川なんだろう。下のほうの細くなったところには橋らしきものが見える。この川の流れのなんと優雅なこと。
標高4000mのアンデス高原は農産物も豊かなんだろう。ずっと畑が続いている。
大きなビルのある町の上に来た。
なんと、町は6角形!! 町まで6角形なのねぇ。
残念ながらこの町の名前がわからない。
ウユニからラパスへの航空路上の都市で考えられるのは、オルロだ。で、オルロの町をグーグルアースで調べてみたら、なんと6角形の町づくりをしてあるところがあった。ヤッター!と思ったのは早計だった。6角形の中心部をみていくと、オルロは、真ん丸だ。この写真は中心部も6角形だ。
ほかにも考えられそうな町をいくつか追っていったが該当するところはみつからない。
一体、ココハドコデショウ??
また、6角形の不思議が増えた。
またしばらく田園風景が広がる。
とても豊かな風景だ。ココハドコ??
えんえんと田園風景。
川が何本も流れていて標高4000mの高地だとは信じられないような風景が続く。
標高6000m級のアンデス山脈から流れてくる水が豊かな高原を作っているのかな。
これは理解不能な景色。
区画割された土地の中に、こんもりと山のようになにかが積まれている。
ひとつ考えられるのは、時は3月、南半球では初秋になる。秋の農産物の取り入れたものをうず高くつんでいるのではないだろうか。
飛行機は1時間もしないうちにラパスに到着するのだが、うかつにも居眠りをしてしまったらしい。気が付くと、雪をかぶったアンデス山脈が雲の上に見えていた。
空から見たアンデス山脈とラパス [マチュピチュ・ウユニ塩湖]
ウユニからラパスへのフライトは約50分ほど。
お天気が良かったので、アンデス山脈がよく見える。どれも6000m級だろう。
望遠側にまわして撮ったのでぼやけてしまった。
ずいぶん立派な山。
本当に山が連なって山脈だ。
だけど、眼下は畑。
民家が少し密集してきた。もうすぐラパス到着だ。アンデス山脈と密集した民家の対比がおもしろい。
山をズームアップして撮ってみると素晴らしい。
飛行機はどんどん高度を下げていく。
民家のすぐ上を飛んでいく。
滑走路に進入した。
無事、ランディング。標高4061mのエル・アルト空港に到着した。ここはラパス郊外になる。
標高が高いため、エンジンの燃焼効率が悪く、揚力発生能力も低いため、長い滑走路が必要だそうで、ここの滑走路は4000mもの長さがあるとのkと。
標高4000mを超えているところで4000mの水平な直線の滑走路を造ることができる土地があること自体が驚くべきことだ。
空港からさらにラパスの中心街まで、バスで行く。午前中に市内を見学したのち、午後は月の谷と呼ばれる地域を観光する。本日のホテルもその近くだ。標高は3400mだからこれから約700mほど下っていくことになる。
飛行機からみたラパスはのっぺりした大都市にみえるが、バスの車窓からみると、表情豊かだ。
アンデスの働き者、商売は女性 [マチュピチュ・ウユニ塩湖]
ボリビアの実質的な首都、ラパスで飛行機からバスに乗り換えて、ラパスの中心街へ向かう。その途中で、気になるのが、バルーンのように膨らんだスカートと極彩色の風呂敷を背負い、帽子をかぶった女性だ。
あの極彩色の風呂敷の中身はなんだろう???????
ラパス空港からラパスの中心街に向かったのはちょうど9時ころ。ラパスの出勤時間帯にもろにぶつかっていた。
道路は渋滞で動かないし、路上も働く人たちが急ぎ足で歩いていた。
路上で店を出すおばさんたちも忙しそう。ん?極彩色の風呂敷から見えているのは商品???
なにか売れたらしいけどなんだろう????
朝の9時ころはどこの国も通勤で大変なのだ。
山高帽のおばさまはこれからなにをするんだろう????
露店ではなく、お店をちゃんと構えている人たちも、朝は忙しい。
お店の前を掃除しなきゃいけないし。
お店の品物を並べるのだって大変。
ここからはバスを下りて徒歩になる。
ここはリナレス通り。魔女の通りなのだ。呪術用品、つまり、お守りの類を売るお店。リナレスとは魔女という意味なんだって。どうしてボリビアで魔女が出てくるのさ~と思うけど。
だけど、奇妙なものがいろいろ置いてある。中でも、お店の軒先にリャマの胎児のミイラがぶらさがっているのはぎょっとする。リャマの胎児は家を建てたときに四隅に埋めて家内安全を祈るんだって!!気持ち悪い。
バイオリンだって売っている。なんでもあり、がラパスの繁華街の怪しい側面なのだ。
外の通りの風景は平和だ。それにしても、極彩色の風呂敷を背負ったお姉さんが多いねぇ。
魔女の通りという意味のリナレス通りを進んでいくと、雑貨のお店が並んだにぎやかな通りに出る。空中を横切る電線は日本以上だ。
観光客向けのアルパカのセーターを山積みしてあって目を奪われる。だが、SサイズのAdaにあうものを見つけ出すほどの時間の自由はない。
どこのお店も女性が仕切っている。ボリビアで行商を営むのは、女性なんだって。極彩色の風呂敷の中身は、もしかして、行商の商品が入っているのではないだろうか。
下の写真のお姉さんは長い髪を三つ編みにしている。さらにその先っぽに飾りをつけている。これがボリビア女性の標準的な髪のスタイルのようだ。
働き者のボリビア女性。男はなにをしているのか、ガイドさんに聞いてみたら、運転手とか、ガイドとかだそうだ。お店は女性が経営するものらしい。
サンフランチェスコ教会前の広場に集う人たち [マチュピチュ・ウユニ塩湖]
ラパスの中心にある魔女通りと言われるリナレス通りを過ぎて、アルパカの商品で埋まるサガルナガ通りを通り、さらに歩いていくと、ちょっと改まったところに出る。左側の歴史がありそうな建物が、サン・フランチェスカ教会、とわかったのは、あとのこと。
雰囲気がサガルナガ通りに比べて一段上。
と、突然、視界が開ける。
凄い人、人・・・
向こうに見える丘がなんだか怪しいので、ズームアップしてみると、丘の上のほうまで民家が並んでいる。そして、奇岩が!!!
広場には、警官もなにやらひそひそ話。お、女性警官もいるではないか。
後ろが、サンフランチェスコ教会。素晴らしい。1548年に建てられたラパスで最も古い教会とのこと。
さて、ここで、私たちは、迎えのバスを待つ。
広場の人たちを眺めていると時のたつのも忘れるほど多彩でおもしろい。
下の写真の髪の長いお姉さん、定番のはずのショールを着ていないし、極彩色の風呂敷も背負っていないので、髪の毛がよく見える。髪の毛の三つ編みは、現地の女性の定番みたいだ。髪の先っぽは、たいてい、飾り物になっているそうだ。
山高帽に素敵なショールのお姉さん。
ラパスで最もにぎやかなこの広場でも極彩色の風呂敷を背負ったお姉さんが何人もいる。
荷物を背負ってないのは、教会に来た人かな。
道路で信号待ちの人々。山高帽のおばさまは、スカートの下にスパッツをはいている。
この後姿の人は、男性だったと思う。男性で、このような民族衣装をつけているのは、初めてお目にかかった。
教会前の広場の階段を下りると、車の多い道路になっている。アラ、下写真右の人、ズボンに極彩色の風呂敷を背負っている。これははじめてのパターンだわ。
下の写真のおばさまは、膨らんだスカートに、ショール、極彩色の風呂敷、山高帽、と4点セット全部を身に着けている。ショールというのはおしゃれのために身に着けるものと思うのだけど。荷物を背負ってショールというのはあんまり似合わないわねぇ、ショールは非生産的だもの。スペイン人の遺した習慣だと思うけど、陽射しがきつい高地ではもともとすっぽりと肌を隠すものがあったのかもしれない。
下のおばさまも4点セット揃っている上に、野菜の束を持っている。これからどこかの路地で品物を並べて商売するのだろうか。あら、スパッツもはいてる。
下のおばさまは、帽子がアルパカの毛。
コバルトブルーのスカートとショールがとっても素敵なおばさま。笑顔も極上。ショールはみるからに上質だった。靴もブルーだわ。
坂を下りて広場にやってくるお姉さん。
黒い山高帽のおばさまは、ショールもスカートも靴も黒。なにかあったのかしら。