ラパスでのひととき [マチュピチュ・ウユニ塩湖]
ラパスの中心地にあるサン・フランチェスカ教会前でバスに乗り、次に向かったのは、レストラン、その前にちらっとゴールド博物館。
バスからラッパや竪琴や五線譜をデザインした素敵な飾り窓が見えた。音楽柄が見えるとすぐに反応してしまう。こういうデザインがラパスにあったなんてちょっと不思議な気がするが、スペイン占領時代の名残なんだろう。
バスから見える建物には立派なものもある。道路の真正面の丘には、住宅が上のほうまで密集しているのがいかにもラパスらしい。ラパスではどの路地に入っても、向こう側に見える景色は、小高い丘まで這い上がった住宅地だ。
ゴールド博物館のちょっと手前でバスを下りて、こういう路地をぬけていく。博物館もさることながらこういう路地を歩くのはとても楽しい。スペインの香りがただよう。
目的地であるゴールド博物館はここ。素敵な扉だ。紀元前2000年前の黄金のアクセサリーなどが飾ってあった。博物館といっても建物は、元貴族の館だったものだし、博物館も私設のものらしい。
標高3600mにあるので、すっかりくたびれてしまい、展示を見るより、深呼吸ばかりしていた。朝5時にウユニのホテルを出発したのだからこたえるはずだ。
また路地を通ってバス道まで行く。やっぱり真正面は丘の上まで住宅が密集している。
さて、レストランに到着した。ラパスのオアシスといった感じの雰囲気のいいところだった。中心地からは標高もかなり低くなってきて、山が近い。
日本だと、ちょっと小高い丘にあるレストランに行って山の景色を楽しみながら食事、となるところが、ここ、ラパスでは、低いところに行って山の景色を楽しみながら食事、ということで、発想がまっさかさまになるところがおもしろい。100mでも低いところのほうが楽な気がする。
緑の芝生の上にテーブルと椅子をセットしてくれていたのだが、あまりの暑さのために屋内にテーブルを作りなおしてもらった。欧米の方はみなさん、太陽の下で食べるのが好きなんですね。
ウェルカムドリンクのガラスの縁に砂糖がついていておいしかった。
ミックスグリルにサラダバー、チョコレートムース。半分食べてしまったところ。手作り感のある鉄板がめずらしいので。
食べ物より、庭の芝生と花が良かった。ウユニでは塩のためか、花をあまりみかけなかった。ラパスの中心地も人が多くて、植物はあまりなかった。
久しぶりの緑と花だ。
気温はそれほど高くはないのかもしれないが、標高が高いせいか、陽射しがきつい。
ランチでまた元気を取り戻して、次に向かうのは「月の谷」と呼ばれている奇岩でできた景勝地だ。そういえば、ラパスの町中でも奇岩が顔を出しているところがあった。すぐにバスの窓からも岩がごつごつ見え始めた。
さて、バスを下りて月の谷のミニハイキング開始。月の谷入口に咲いていたゼニアオイは、木みたいだった。種類が日本のとは違うのかしらん。葉っぱも微妙に違うし。
ラパス”月の谷”プチハイキング [マチュピチュ・ウユニ塩湖]
ラパスの中心街は標高3600mくらいだが、そこからさらに下った標高3400mあたりのところに「月の谷」という奇岩でできた景勝地がある。近くまでくると、月の谷という名前があまりピンとこないが、ウユニに行く前にラパス郊外のキリキリ展望台から、このあたりをカメラをズームアップして見たときは、本当に月の表面のように灰色で死の世界のようだった。月の谷とはよくぞ名付けたものだと思った。
手すりがついていて安全対策はされているものの、滑りやすく、アップダウンが結構あって、中級ハイキングコースなみのきつさがある。
氷河によって削られた土が堆積した地層が、さらに雨によって浸食されてこの奇岩になったという。だから、岩ではなくて、土なのだ。とても脆い地層なので、雨が降ると形が変わっていくらしい。
サボテンが咲いている。時期がはずれているらしくて咲いているのはほとんどなかったけど。
谷に分け入ったかと思えば、見晴のいいところもある。向こうに見える女性3人組はタンクトップに短パンで帽子もない。欧米人は、だいたいこのスタイルだ。
一方、日本人は、帽子はもちろん、長そでのシャツに必ず足元まであるズボンを穿いている。だから、遠くから見ても、日本人の集団か、そうでないかはすぐにわかる。
脆い地盤のすぐそばまで民家がせまっている。不法建築らしいが追い出そうとしているわけでもなく、地盤がくずれたときの言い訳ぐらいの意味しかないのではないかしら。日本の海岸でも別荘地が波で削られて、家が無くなったりしているが、それと同じことが起きても不思議ではないだろう。
危ないからと言って護岸工事みたいなことをやっているわけでもないし。
見学コースはちゃんと通路を作っているからいいけど。
この花、ウユニ塩湖のインカワシ島にも咲いていた。あそこは3700mで、カメラを向ける元気も残っていないほど消耗していた。ここも標高3400mだから息が切れる。
オオー、コワー。
橋をかけて歩きやすくしているとはいっても、地盤そのものが脆いので雨でも降ったら土砂崩れでもおきそうだ。だが植物の生え具合を見る限りでは、雨はあまり降らない様子だ。そのかわりにアンデス山脈から流れてくる地下水がふんだんにあるので、人間の飲み水には困らないようだ。
崖にかろうじてしがみついているサボテン。ガンバッテルネェ。
オチルナヨ~。
こういうところで、花をみるとうれしいですね、色があって。
これはルピナス。もう実がなっている。ルピナスはニュージーランドの原野のような涼しいところの植物だと思っていたけど。
標高3400mでのゆとり [マチュピチュ・ウユニ塩湖]
マチュピチュとウユニ塩湖の観光が終わってしまうと、なんとなくのんびりムードが漂う。ここ”月の谷”のハイキングも標高3400mのきつさがあるものの、ウユニ塩湖の標高3700mをクリアしたので、もうここまでくるとなんとかなるだろうと思う。”月の谷”はラパスの大都会のすみっこだから、なにがあってもなんとかなる範疇に入っている。
ということなので、ハイキングといってものんびりマイペースで重たい一眼レフを持って歩く。それにこの標高にかなり慣れてきたのだろう。
だけど、正直なところ、この重たいレンズのついたカメラを持ち歩くのはもう今回が限界かもしれない。
標高3000mを超えるとやっぱり息がきれる。でもウユニ塩湖ほどではないから、標高3500mがこれからの旅行先の目安になりそうだ。となると、富士山はどうかなぁ。
ラパス”月の谷”の旅行のレビュー記事などを読むと、あんまり評判はよくない。がっかりした~、という記事が多い。そりゃ、ウユニ塩湖の圧倒的な大自然を見た後、ここにくると、規模も違うし、美しさも違うし、大都会のすぐ近くという手軽さからくる重みのなさはしょうがないですね。
だけど、ここにこないとわかりにくいこともある。月の谷から察するに、ラパスの地盤は極めて脆弱だということ。ちょっとでも雨が多くなってしまうと、大災害が発生するのではないだろうか。そう思って土砂災害、ラパスのキーワードで検索してみると、出てくること出てくること!!! やっぱりかなり危険なところなんだ。
ラパスの地形を改めて見てみると、氷河の流れがあったU字谷の上に市街地がのっかっている。だから標高の低い”月の谷”までくると、氷河に流されてきた土が堆積することになるのだ。そして雨によってその土が日々浸食され、”月の谷”の風景を作っている。
こういうことは”月の谷”の視点からラパスをみてみないとわからないことだ。本当に来てよかったと思う。
岩のてっぺんにあるサボテンだって、風前のともしびみたいな運命にあるのだろう。
その、サボテンを記念に撮っておこう。
民家が近くに見えたので、ここでハイキングは終わりかと思ったのだが・・・・
まだ登っていくらしい。
土地はもう砂漠といってもいいような地合いだ。乾燥地に強そうな植物が生えている。
可憐な花をつけている草もたま~にみかける。
だけど、やっぱりサボテンがここには一番似合うようだ。
ボリビアの民族衣装を着たおじさんが歌を歌っていた。やっぱり都会の中の観光地ですね。お賽銭箱もあったので遠巻きに歩いた。
とうとう出口に到着した。1時間ほどのプチハイキングだった。
”月の谷”のゲート。
ここでバスに乗ってホテルに向かう。バスから遠くに見える街並みにあるホテルまで、下っていく。
ホテルはウユニ塩湖に行く前に泊まったのと同じホテルだ。部屋は違っていたが、同じようにぜいたくな部屋だった。ソファーにダイニングテーブル、キッチンまで備わっていた。今回の旅行の最後に泊まるホテルとしては申し分ない。明日の夜は、機内で過ごすのだ。
ホテルの部屋から眺めた景色。”月の谷”で見たのと同じような風景が見える。つまり、このホテルは脆弱な地盤の上に建っているということだ!!
早めの時間にホテルに到着したので、夕食までの間、近くの巨大スーパーウォッチングに出かけた。買うものはないのだけど。キヌアというひえみたいな穀物がアンデスの人たちの体力の源泉だというので、買った。最近、日本のテレビでも紹介されていた。帰国後、ご飯を炊くときに少しずつ混ぜて食べた。
夕方の散歩のときにみかけた光景。
ホテルの前にいた女性。
サッカーに興ずる女性。
働く女性。
街路樹。
ギネス記録を持つ海辺のレストラン [マチュピチュ・ウユニ塩湖]
観光10日目
標高3300mにあるラパスのホテルを朝の7時半に出発し空港へ向かう。あいにくの雨模様みたいだが、もう旅はほとんど終わり。
今日はボリビアのラパスからペルーのリマへ戻る。リマで町を少し見学した後は、深夜にアメリカのアトランタへ行く飛行機に乗る。さらにアトランタから成田ということになる。
南米はアメリカ経由をしなければならず、アメリカではトランジットにも関わらず厳しい入出国審査に時間をとられる上、南米方面の飛行機は深夜発になるので、不便この上ない。日本からだとどうしたって2日がかりになる。
さて、朝の通勤ラッシュで渋滞の中、エル・アルト空港へ向かう。空港は標高4061mだから、標高差800mをバスで登っていくことになる。標高3700mのラパス中心街を抜けると、今度は反対路線の通勤ラッシュになる。
お天気が悪くて飛行機からは外の景色があまり見えない。ラパスからクスコにかけてアンデス山脈が見えるはずなんだけど・・・。雪を被った山がちらっと姿を見せるだけ。
雲の上まで顔を出している山が見えた。
1時間もしないうちに、クスコに到着した。クスコでは機内待機になる。なぜリマへの直行便がないのだろう、とそのときは不思議に思った。多分、ラパスの標高が高過ぎて酸素濃度が薄くエンジンの燃焼効率が悪くて、燃料をあまり積むことができないためなのではないかしら。
クスコはマチュピチュへの玄関になるところなので、もうおなじみの空港なのだが、お天気が悪くて、別の空港のように感じる。クスコ空港も標高は3400mと高いので、陽射しのきついところだと思っていたが、今日はその陽射しもない。
飛行機のすぐそばに民家があるのは、ラパスと同じく異様に感じる。
機内で1時間ほど過ごした後、再び飛行機は飛び立った。
だが、あっという間に飛行機は雲の中に突入してしまった。1時間もたたないうちに、海岸がみえて着陸に入った。
ペルーへの入国審査を終え、バスに乗り込んでランチをとるレストランに到着したときは、午後2時を過ぎていた。海岸に突き出た防波堤の先にあってリゾート風だ。
下写真はレストランからの景色。海岸からいきなり崖が切り立っていて、別荘用だと思われるアパートメントが並んでいる。あの崖もそのうち波で削られていくのではないかと心配してしまう。
ランチだというのにビュッフェではなく、一人ずつサービスしてくれる。
まず、アスパラガスのスープ。ホワイトアスパラガスのスープはオーストリーのザルツカンマグートではまってしまってよく食べたけど、緑色のアスパラガスのスープははじめてだ。
野菜と魚。手前の粒粒は、大きなとうもろこし。魚のセビッチェはペルーの名物料理なんだって。そういえばスペインなどの地中海でも刺身にマリネをかけて出される。これもスペイン領時代の名残ですね。だけどなんとなく南米風。
メインディッシュは牛肉炒め。ジャガイモが付け合せなのはいつものことだけど、ご飯もいつものことなので閉口する。とうとう南米のご飯は食べられなかった。
デザートは赤トウモロコシで作っているらしい。
このレストラン、コスタベルデはギネス記録を持っているとかで、その認定証を額縁に入れて飾ってあった。1996年に、ビュッフェの料理の数が428で世界最高の数だったとか。
波打ち際からみたレストラン。
津波でもあったらあっという間に波にのまれてしまうと思う。日本とは太平洋を隔てているだけだけど三陸からの津波はここまでは到達しないのかしら。
海に面した公園 [マチュピチュ・ウユニ塩湖]
遅いフルコースランチを海辺のレストランで食べた後は、近くの公園でのんびりお散歩となる。
バスで移動するとき、バス専用路線が見えた。メトロポリターノと呼ばれていて、黄色い線の中は路線バスしか走れない。下写真の建物は、メトロポリターノの駅である。
ちょうど、2連結のバスがやってきた。渋滞がないので、かなり正確に運行されているという。乗っているバスのガラスの映り込みが入ってしまったが、バスを撮ったのははじめてなので。
さて、やってきたのは、Parque de Amor、恋人たちの公園と呼んでいたけど。アントニオ・ガウディの作品のあるバルセロナのグエル公園のタイルに似ている。
ここが、なぜ、Parque de Amorなのか、という理由が、この像。男女がキスをしている。だが、2人は、やや太めの中年のおじさん、おばさんのカップルなのだ。どうしてこんな像が、景勝の地に置かれているのか、理解不能だ。
だが、この公園は名前のとおり、カップルの人気のデートスポットなんだそうである。ガウディ調のちょっとおしゃれに設計されているし、断崖の上にあるから海の景色も雄大だ。カップルでなくてもここでのんびりと過ごしたいと思う。
書かれている文字は、さっぱりわからない。ガウディは1926年に亡くなっているが、この公園ができたのは、それから10年ほどたった、1934年のこと。もし生きていたら意匠権の侵害がなんかで訴えていただろうか。
だが、グエル公園のこういうタイルのオブジェは、もっと丸みがあったと思う。グエル公園全体がタイル以外のオブジェもあったりするので、そのような環境の中で存在感が際立っていたように思う。
公園から海を見ると、波に点々と黒いものが見える。
ズームアップしてみると、サーファーが遊んでいた。
崖は、崩れそうでこわい。アパートメントは富裕層の別荘かと思っていたが、別荘ではなく、どうも住宅らしい。
やっぱり中年だわ。
やっぱりグエル公園のものとはずいぶん違う。
さて、海を眺めながらのんびりした後、再びバスに乗って、リマの旧市街へ向かう。
途中でみた街路樹が、ジャカランタみたいだった。ジャカランタは南アフリカでは11月ころが花期になっているけど、今は3月初め。
ここのメトロポリターノは歩道がある。メトロポリターノのシステムがどうなっているのかわからないけど、結構いいシステムのように思う。
リマでは2012年に電車が運行開始した、という記事があった。ガイドブックなどではリマに電車はない、と書いてある。
マチュピチュに行く唯一の交通手段が電車なのに、リマに電車がないというのは不思議なことだと思っていた。
だが、長くスペインの植民地だった歴史を考えると、ペルーの位置づけは資源産出国ということなので、その資源を効率よく運ぶことが、スペイン側からみたペルーの役割だったのだ。だからマチュピチュのさらに奥地から産出されるカカオやコーヒーを海岸まで運ぶことが最優先されていたのだ。
世界遺産のリマ旧市街を守る人たち [マチュピチュ・ウユニ塩湖]
リマの海岸で遅いランチをとり、公園で散歩したのち、リマの旧市街に着いたときは、もう夕方の5時になっていた。曇っているし、日も弱くなってなっている。今にも雨が降りそうだったが、リマはほとんど雨が降らないところであることは、後で気が付いた。ペルーの海岸側は、ナスカも同じだが、ほとんど砂漠に近い。アンデスからの雪解け水があるから水には困らないようだけど。
ここは、リマの旧市街のど真ん中、アルマス広場である。いろいろな由緒ある建物に囲まれている。真正面に見えているのは、リマの市庁舎。
そして右側に、大統領府がある。
大統領府には、かっこいい番兵が立っている。
せっかくだからズームアップして撮ってみよう。
柵の外側にもガードマンみたいな人が立っている。
広場には馬車も走っている。
シティツアーのバスだって走っている。
建物の黒い出窓は、木でできている。コロニアル建築様式と呼ぶそうで、植民地時代に、その国に応じた建築資材を使った建物なんだそうだ。なにがコロニアルなんだろう???
そして広場には、警官もいる。しかも、女性だ!!!
これはカテドラル。ペルーの90%はキリスト教徒だそうだから、教会が町の真ん中にある。
この教会の左側の建物にも黒い木の出窓がある。精巧に作られている。
これはカテドラルの真ん中入口の上の部分。塔に点々と黒くみえるのは、鳥。
さて、広場から少し通りを入っていく。ヨーロッパのような重厚な建物が並んでいる。さすが、世界遺産の街並みだ。
で、図書館のトイレを使わせてもらった。中に入ってびっくり仰天。天井のステンドグラスが素晴らしい。
最初はユダヤ教のシナゴーグとして建てられ、その後、駅舎になり、図書館になっている。
街には、警察の車も走っている。
警察犬だっている。
リマの旧市街は治安がよくなかったらしいが、なにがなんでも観光客を守るという姿勢はみてとれる。
そして、ここで迎えのバスを待っていた。両側はピンクの建物。
世界遺産のリマ旧市街は、つまるところ、植民地時代の遺産でできていた。思うに、リマにはスペインがやってくるまで、人はほとんど住んでいなかったのだろう。港を必要としていたスペインがリマを造ったのだ。
リマは、雨がほとんど降らなくて、住環境としてはそれほどいいとは思えない。だから、インカ帝国の首都は、クスコだったのだろう。クスコの降水量は、最も多い1月が145mm。東京は9月が最も多く200mmとなっているから、クスコは雨量からみる限り住みやすいと言える。だがリマは最も多い9月でも、わずか5mmしかない。だから草木はそのままでは生えない。
雨が降らないからお天気はいいのかというと、そうでもなくて海の寒流のせいなのか、霧のようなもやがかかっていて、どんよりとしている。ペルーでどこが住みやすいかということだと、やはりクスコだろう。標高は3400mだけど、慣れればなんとかなる範囲だ。
リマの博物館 [マチュピチュ・ウユニ塩湖]
リマの旧市街をざっと見たのち、今度は博物館にやってきた。
午後6時を過ぎていたので薄暗く、せっかくの庭の素晴らしい花を見て回れないし、カメラで撮るのももう限界だ。
それでもあまりにも惜しいのでぎりぎりまで中に入らないでカメラで花ばかりみていた。それほど、庭の手入れが行き届いていた。
緑や花にあふれているのは当たり前のように思ってきたのだが、ここリマはほとんど雨が降らないということだと、これだけの庭園を維持するには、大変な労力が伴うと思われる。
入口にも花が咲き乱れている。だが、写真をみてはじめて気が付いたのだが、みんな鉢植えだ。砂漠のようなリマでは普段は集中管理でもしないとだめなのかもしれない。
遠近両用のカメラレンズで頑張った。
マクロレンズをつけていたら、一日中ここでカメラ遊びしてもあきないだろう。
さて、暗くなったので、ラファエル・ラルコ・エレラ博物館の中に入る。ずいぶん、長い名前の博物館だが、これは個人の名前だ。考古学者であったラファエル・ラルコ氏がご自分の邸宅を博物館として公開しているとのこと。
そのラファエル・ラルコ氏たる方、どんな人なんだろう。
ペルー人なのか、スペイン系の人なのか。
なぜ、こんな大邸宅をペルーに持つことができたのだろうか。
ご存命なのか、
なぜ、こんなに収集できたのか、
なぜ国立博物館にしないのか、
なぜ没収されないのか、
収集のときの資金源を追及されなかったのか、
もともとはペルーの国の遺産ではないのか、
考古学者が発掘したものを個人の資産にしてそれを見せることで収入を得るなど許されるのだろうか、
とか数々の疑問が湧きあがる。
だが、ネットではわからなかった。こういうことは聞いてはいけないことかもしれない。
上の写真の上にもフクロウがいるが、またフクロウ。
フクロウは、南米でもなにか意味がある鳥なのかしら。
8世紀から13世紀くらいの織物で、経糸が木綿、横糸がアルパカの類の毛だとか。なぜ1000年も前の布地が残っているのだろうと思うが、リマは乾燥しているからあまり傷まないのかもしれない。
こちらはかなり新しくて13世紀から16世紀くらいのインカ帝国時代のものらしい。鳥をデフォルメしているそうだが、デザインが斬新で今の時代でも通用する。
こういう布地をみていると、クスコあたりのおばさんが背負っていた風呂敷の派手派手デザインとあまりにも違うので、あの風呂敷はどこから出てきたものなんだろうと思う。
アンデスといえば、やはり笛ですね。
サンポーニャと呼ばれるマリンバみたいな笛を土器にしている。
ケーナと呼ばれる縦笛を吹いている人。
本物の縦笛、など音楽が古くから奏でられていたことがうかがえる。
素敵なブローチみたいなものも。
デザインが漫画みたいでなかなかおもしろい。
純金のお面とか。
もう、とてもとても多すぎてみることができなかった。
ここでの時間はわずか1時間。博物館見学は、個人でこなきゃだめですね。