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マチュピチュ村までの電車 [マチュピチュ・ウユニ塩湖]

バスが峠を越えると、町が見えてきた。オリャンタイタンボだ。
ここから電車に乗る。
バスでマチュピチュ村に入ることはできないのだ。

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ウルバンバ川まで降りてきた。この川はアマゾン川の支流だ。
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蛙そっくりの山。有名な山らしい。
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バスは、電車の駅をめざして村の中を走る。
家族でなにか農作業をしている。種でも採ってるのかな。IMG_6830sw.jpg

この子供たちはきっと、モデルだろう。観光客相手にポーズをとってお小遣いをかせいでいるんじゃないかな。
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ようやくバスは、オリャンタイタンボの駅に到着した。
オリャンタイタンボとは、妙な名前だが、昔、オリャンタイさんという人が、ここで旅人のために宿を提供していて、タンボとは宿のことなんだそうな。つまり、新宿とか原宿といった感じかな。

電車では荷物制限があって5Kgまでしか持ち込めない。だからスーツケースはマチュピチュには持っていけない。スーツケースは、クスコのどこかに置いてあるはず。マチュピチュで2泊したら、またクスコに戻っていくのだ。とはいっても、電車に乗るときに、荷物のチェックがあるわけでもないのだが。

なので、2泊3日分の荷物を小型ボストンバッグに入れて電車に乗り込む。これが結構面倒だ。マチュピチュが暑いのか寒いのか、わからないので、結局、荷物が増えてしまう。
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駐車場から駅までの短い道路はびっしりと土産物屋が並んでいる。写真右側がお店。
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電車がみえてきた。プラットホームも電車のレールも同じ平面にある。
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マチュピチュまでの電車は3種類ある。
ハイラム・ビンガムはヨーロッパのオリエントエクスプレスそっくりだ。停車しているのをちらっと見たのだが、各テーブルごとにおしゃれなスタンドがついている。それもそのはず、会社が同じなんだって。往きはランチ、帰りはディナーつきという高級列車だ。ハイラム・ビンガムという名前はマチュピチュ遺跡を1911年に発見した考古学者の名前だ。
ビスタドームは普通の観光客向け車両で、私たちはこれに乗った。
もうひとつは、バックパッカーと呼ばれて、なにもサービスがつかないらしい。

ビスタドームは、天井まで窓がついてあって視界が広くなるようになっている。通路をはさんで2列ずつ。テーブルがついていて、ちょっとしたおやつが出る。
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おやつは、菓子パン2個とドリンクだった。
ドリンクは選べるようになっていて、コカ茶を飲んだ。コカ茶はティーバッグになっていて、記念に紙袋も写した。
このコカ茶、日本への持ち込みは禁止されている。薬物になるらしい。アンデスのような高地では、コカ茶が高山病にいい、と言われているので、いつもコカ茶を飲むようにした。なかなかおいしい。
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電車に乗ったオリャンタイタンボは標高2800m。そこから電車はウルバンバ川に沿って、標高2000mのマチュピチュ村まで下っていく。往きは、左側が渓谷、右側が山、それも崖になっているので、土しかみえない。往きは左側に座るべきだが、座席指定になっていて、あいにく山側だったので、カメラはやめた。

電車は川の流れのすぐそばを走っているところもあり、これだったら洪水にでもなったらひとたまりもない。
何年か前にマチュピチュへ行く予定になっていたのが、大洪水で線路が破壊されて、直前で中止になったことがあった。そのときは、川を渡る橋でも流されたのかと思ったのだったが、線路は川ぞいにマチュピチュ村まで続いているのだ。

さて、クスコからマチュピチュ村までは、およそ100kmの道のりだ。半分はバス。半分は電車。バスは速いが、電車は、単線なので、途中の待ち時間が長い。何度も反対側の電車待ちで待たされた。もともと観光客用の電車なので、のんびりと走る。クスコからマチュピチュ村まで電車だと4時間もかかる。この半分をバスにすることで、時間を短縮できるのだ。

結局、マチュピチュ村に着いたのは、夕方の5時過ぎ。朝7時過ぎにリマを出発してクスコまで飛行機、そこからバスと電車でようやく、マチュピチュ遺跡のふもとにあるマチュピチュ村に着いた。やっぱり遠い。

この写真、日本の温泉郷みたいだけど、ここがマチュピチュ村。アグアスカリエンテスというのが元の名前で、温泉が湧くという意味だそうだ。この川の奥に温泉プールがあるので、ツアー仲間の何人かは、入りに行った。ぬるいお湯で、水着を着てはいるのだそうだ。泳ぐわけでもないし、温泉としてくつろぐのでもないし、ちょっと中途半端な感じ。
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それにしてもなんとなく日本みたいだ・・・と思っていたら、やっぱりここを開発したのは日本人の野内与吉さんだそうだ。この方は1917年にペルーに移民として渡り、線路を敷設する、とか電気を付けるなど、マチュピチュの発展に尽くしたのだそうだ。その方の子孫が今もマチュピチュにいるらしい。

ここの宿で、はじめてスープが出てきて、おいしかった。時差で胃もおかしくなっているから、胃にやさしいスープはいい。
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