標高3400mのクスコの夜 [マチュピチュ・ウユニ塩湖]
マチュピチュ村からクスコまではおよそ100km。午後1時半の電車に乗って、バスに乗り継ぎ、クスコに着いたのは、午後5時をまわっていた。4時間近くかかっている。1400mもの標高差のあるところを登ってきた。
3日前にリマからクスコに着いたときは、飛行機が遅れてクスコでの観光の時間がとれなかった。だからなんとか観光の時間をとろうと、インカの末裔らしき現地添乗員さんは動いてくれる。サントドミンゴ教会の観光時間は5時までなのだが、どうにか中に入れてもらった。、もうクスコの町も日が暮れかけていた。
写真はサントドミンゴ教会の2階外回廊から。
このサントドミンゴ教会はキリスト教の建物だ。だが500年前のインカ帝国時代は、インカの人々の創造神である太陽の神殿だった。インカの財宝が奉納されていたらしい。スペインが入ってきたとき、建物は壊され、中のものは持ち去られ、キリスト教の教会が建てられた。ところが建物の土台は、インカ時代のものが使われたために、内部にはきれいなインカの石組が残っている。
下の写真は、スペインがインカの石組の上に作った石組である。石と石の間に土が練りこまれていて、だれが見ても、インカの石組の美しさには及ばない。
スペインもとんだ証拠を残したものだ。
インカの末裔の現地添乗員さんがなんとしても見せたかったものが伝わってきた。
サント・ドミンゴ教会の中庭は、スペインのアルハンブラ宮殿を思わせるつくりになっている。
駆け足でサント・ドミンゴ教会を見学した後は、町を見ながら、レストランまでの道を歩いた。
こういう細い道をぬっていく。
ところどころに間口があいていて、お土産にするようなものを売っている。大きな荷物をしょった現地の人。
この通りはインカ時代に造られた石組だ。見事。
石の大きさに合わせてきっちりと組んでいる。いつも剃刀の刃も通さないと表現される。
また大きな荷物を背負った現地の人。
この通りは新しいようだが、段差がつけられている。これだと水はけもいいですね。だが、これはきっとスペイン時代の道路だろう。石が違う。
突然、アルマス広場に出た。クスコで一番にぎわう場所だそうだ。もうとっぷりと日が暮れていて、山に広がる住宅の灯が、お星さまみたいだ。
その広場のど真ん中にも荷物を背負った現地の人がいる。荷物の中身は何なんだろう。
反対側もきっと山なのだろうけど、山の中腹のキリストが光っていて広場を見下ろしている。
ペルーの宗教は、ローマ・カトリックが89%、プロテスタントが6.7%だそうだから95%がキリスト教なのだ。インカの太陽の神はどうなったんだろう。人種構成を見ると先住民45%、混血37%、ヨーロッパ系15%、その他3%だそうだから、先住民が多いのだが、長期間にわたるスペイン時代にキリスト教になっていったのだろう。
さて、レストラン「ドン・アントニオ」に着いた。フォルクローレショーつきだ。
アンデスの笛ケーナが響き渡る。
お面をかぶっている女性が杖をもっている。なにか有名なストーリーが展開しているのかもしれない。
ダンスも素敵。結構有名な踊り手が出演するらしい。
だけど、朝早くからマチュピチュのインティプンクに登った疲れが出てきたのか、踊りを楽しむどころではなくなった。こういうのって、結構、気合いを入れてみないと楽しめないのよね。念のため、アルコールは控えたのだけど。
そういえば、3400mもの標高で一晩過ごすのは、初めてだ。3000mを超えたことはなかった。マチュピチュにいくときはクスコを通ったが、泊まらなかった。標高に慣れていくということでは、リマの0m地帯から、クスコを素通りして、2000mのマチュピチュで泊まり、次が3400mのクスコで泊まる、ということになるから順当である。だが一刻も早く、ベッドに横たわりたいのは、ハイキングの疲れもさることながら、きっと3400mの標高がきいているんだろう。
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