インカワシ島でミニ登山 [マチュピチュ・ウユニ塩湖]
ウユニ塩湖のど真ん中にインカワシ島という島がある。今日のメインイベントはサボテンが自生するその島を見ることだ。
途中、湖の岸辺にあるコルチャニ村で製塩工場を見学した。工場といってもウユニ塩湖の塩田で干した塩を持ってきて、さらに乾燥させるだけなので、いたって簡単なものだ。
その後、ウユニ塩湖をまっしぐらインカワシ島に進む・・・のではなくて、途中で「塩湖の目」と呼ばれている場所を見る。
アンデスから流れてきている地下水が湧きだしていて、ぶくぶくと泡を出している。まるで温泉みたいだ。
手を入れてみたが、熱くはなかった。鉄分を含んでいるらしく、まわりが茶色になっていた。塩の岩が茶色に染まるだろうか。
車はインカワシ島へ到着した。
塩湖のほうに、テーブルと椅子のセットが並んでいる。岩塩を四角く切って積み重ねている。まさに塩でできたダイニングセット。今、ここは乾いているが、雨季の最盛期には、ここは水が張っているらしい。それでも椅子は溶けないのね。
島には大きなサボテンがいっぱい。
島に上陸して、塩湖を見る。遠くに小さく見える車が乗ってきた四駆かなぁ。
塩湖といっても水がはっていないので、島に上陸というニュアンスとは異なるのだけど。
ウユニ塩湖は、四国の半分くらいの大きさで、そのほぼ真ん中にインカワシ島がある。
下の地図がウユニ湖。右に空港のあるウユニ村や、製塩工場のあったコルチャニ村の名前が見える。
ウユニ塩湖は高低差が50m以下という、世界で最もフラットな広がりのある場所だ。
その塩湖の中で一番大きな島が、このインカワシ島。
インカワシの名前はインカの家、という意味だそうだ。地元の人たちは、ワにアクセントをつけていた。
インカワシ島は、大昔、海の底だったので、サンゴでできている。
これから、このインカワシ島のてっぺんまで登る。
たかだか40mの高さだから普通だったらどうということもないのだが、そもそも、ウユニ湖の標高は3670mなのだ。
富士山とほぼ同じくらいの高さのところを歩くのだから大変なのだ。
一歩進むたびに、深呼吸をして酸素を取り込まないと息が切れる。空気がうすいことを実感する。
巨大なサボテンの間をぬって、一歩一歩登っていく。
10mくらい登っただろうか。休憩所が小さく見える。
つぼみをつけたサボテン。花期ではないらしく花はほとんどなかった。
もう30分以上歩いているのではないだろうか。いつまでたっても頂上に着かない。そんなに高い山ではなかったはずなのに。
サボテンの幹で作られた矢印。まわりの岩はサンゴ礁の残骸。20万年ほど前の海が閉じ込められたまま隆起して、塩とサンゴ礁が残っているのだ。
40m登るのって、こんなにきつかったっけ。
ようやく山頂に到着。見渡す限り塩だらけ。一番手前にかたまっている車が、私たちの乗ってきた車。ほかにも、車が何か所かに停まっている。
だけどですねぇ、塩だらけの景色って変化に乏しくて美しいという感じではないわねぇ。すごいところだけど。
サボテンの島を見ながらランチ [マチュピチュ・ウユニ塩湖]
インカワシ島の半島。塩ばかりの平原にサンゴ礁の残骸がつきだしている。
水が無くて塩ばかり、というのは異様な光景だ。水のある風景がどれほど貴重なものかということを感じないではいられない。
20万年前のサンゴ礁はトンネルを作っていたりして奇岩の風景もある。トンネルを通り抜ける人たちもいたが、たかだか数mを登るのも息が切れてしまって、動けない。
サボテンばかりという風景も異様だ。
やっと塩湖まで下りてきて、ランチ。インカワシ島ミニ登山の間に運転手さんたちがテーブルをセットしてくれていた。ビュッフェスタイルで食べたのは、りんご、オイルサーディン、チーズ、煮野菜、じゃがいも。飲み物のコーラがとてもおいしかった。コーラを飲むのは何年振りかだったのだけど。高地にはあうらしい。あら、フォークの向きがさかさまだワ~。
遠くをカメラの望遠側でのぞくと、素敵なパラソルの下に白い椅子カバーをつけた椅子が2つとテーブルのセットが見えた。新婚さんかなぁ。
別の方向を見ると、テーブルが3つ。とってもおしゃれにセッティングしてある。
ランチの後は、ホテルに戻るだけ。
インカワシ島がみえなくなったところで、休憩した。ここの六角形はきれい。
ランチの場所も六角形になっていたけど、陽が少し傾いてきたので、陰影が出てきてわかりやすい六角形になっている。
なぜこんなにきれいに六角形になるのだろう~~~。
平面を覆い尽くすことができる正多角形は三角形、四角形、六角形しかなく、中でも六角形は、円にもっとも近く、ひとつあたりの面積を最大にできる。だから膨張や収縮を繰り返すと六角形になっていく、というところまではわかった。たんぼの土はなぜ六角形にひび割れるか、という答えでもある。
だが、なぜ、この大きさになるのだろう。ウユニ塩湖の他の場所の六角形もほぼ同じ大きさだった。だが、アイルランドのジャイアンツコーズウェイにある六角柱はウユニ塩湖の半分くらいの大きさだ。たんぼのひび割れの六角形もウユニ塩湖のよりうんと小さいと思うけど。
アイルランドは溶岩だし、ウユニ塩湖は塩、という違いはある。アイルランドは海辺で標高0m、ウユニ塩湖は標高3700mという違いもある。六角形の大きさに関係してくる要素はなんだろう。
本当に不思議だ。写真右側に車が走ったあとが見える。車が走っても、六角形の線は消えないほど、塩は硬く固まっている。
6角形のなぞは深まるばかり。記念写真を。
またトリック写真を撮る人も・・・。
もうだいぶ、飽きたけど、最後の1枚。
再び豪快な夕焼け [マチュピチュ・ウユニ塩湖]
インカワシ島から戻って休憩したのち、今日も夕焼けを見に行く。水のたまった塩湖をみるためには、雨季に訪れるのがよく、雨季だと晴れが少ないということでもあるので、夕焼けを2回見に行くことになっていると思う。どちらかが当たればいいのだ。だが、今はちょうど、雨季と乾季の境目、3月初旬だ。水もたまっているし、お天気の確率もたかくなっている、ということだ。
で、結局、2日間とも盛大な夕焼けをみることができた。
四駆は雪原のような塩の上を疾駆する。みえている車は、同じツアーの車。だいたい、車なんぞ、お目にかかることはほとんどないところなのだ。
水のあるところまで行く。遠くに車が見えたので望遠側でのぞいてみると、夕焼けを待っている人たちが見えた。
別の方向では、車は1台だけ。車の屋根に人が登っている。
こういうところに1台で、しかも一人でくるのは、かなり危険なのではないかと思う。塩で車が故障しやすいだろうし、道はないし、方向感覚がなくなるので、立ち往生してしまいそうだ。
これはツアー仲間。
まだお日様は健在です。
まだまだ・・・・
まだまだ・・・・
最後の光を放っています・・・
とうとうお日様は沈んだ。
お日様と反対側の空は赤く染まった。
お日様の光の余韻が濃くなっていく。
もう何万年も同じようにお日様は沈んだと思うけど、1日だってまったく同じ空だったことはないだろう。
遠くの夕焼け見物の人たちもまだ夕日の余韻をかみしめているらしい。
望遠側でみると、ド派手ポーズの人もいる。
車の屋根にいたお兄さんはどこへいったのだろうか。
私たちも真っ赤に染まって・・・・
赤いいろから暗い赤に変わってきている。
もうお日様のいらしたあたりは緞帳が下りてしまった。
お日様のまわりの雲も眠たそう。
私たちも車に乗って戻る。
塩と水の入り混じったところがピンクに映えている。
雪原のようだけど、塩の原。
名残を惜しんでいる人たち・・・・。こういうところで人影をみることはまずないと思うのだけど・・・・
塩でできたホテル [マチュピチュ・ウユニ塩湖]
今、日本では塩でできたホテルに泊まる、ということが大人気になっている。ペルー、ボリビア観光といえば、以前はマチュピチュ、チチカカ湖、ナスカ地上絵が3点セットになっていたが、今やチチカカ湖にかわってウユニ塩湖になっている。
ウユニ塩湖も5年くらい前までは乾季だけだったのが、雨季が主な観光シーズンに代わってきた。鏡張りの湖と塩でできたホテルの2つが主な売り出し文句だ。急に売れ始めたので、塩のホテルは部屋数が不足し、ホテルが新築されたり、増築されたりしている。
私たちが泊まったホテルは、ここ。写真では見えないが、右側、後ろと大きく広がった1階屋だ。
ホテルの各部屋の前には、共有スペースがあり、くつろぐことができる。
共有スペースは、塩の壁で仕切られてはいるが、窓ガラスがあるわけでもなく、開放的な空間になっている。壁があるのは、建築構造上の問題のためだと思われる。
塩の壁は、岩といってもいいようなブロックを積み重ねている。岩なので、濡れても解けない。ざらざらした感触をそのまま残している。
空間の真ん中にはテーブルが置かれているが、これも塩のブロックを重ねただけ。
ブロックをずらして無造作感を出しているのも。
向こうの部屋にはハンモックが吊ってある。
ストーブだってある。ストーブは多分鉄だろう。外の景色は、砂漠が広がっているように見える。きわめて無味乾燥だ。
からっと明るい雰囲気があって、居心地がよさそうだ。
低い壁の上には、いろいろな置物があって、みていて楽しい。塩のブロックをくりぬいて造った入れ物や、球。
籐椅子が置かれた広い空間もところどころにある。
床は真っ白の塩。塩はくだいていて、5mmくらいの粒粒になっていて、歩き心地もいいし、見た目もさわやか。だけど、掃除はどうするんでしょうね。掃除機をかけると粒粒の塩を吸い込んでしまうだろうし、ほうきで掃くこともできないと思う。もしかして掃除などしないのかもしれない。塩を新たにまくとか、塩を入れ替えるほうが簡単なようにも思う。
もっとも床が塩ではなくて、普通のホテルの床だったら、ウユニ塩湖で水につかった長靴やズボンが塩で真っ白に汚れているので、床も白く塩が残ることになってしまうだろう。ここは痛しかゆしかもしれない。
なにしろズボンは洗濯しないと穿けないほど、水の飛沫が乾いて塩だけが真っ白に残っている。カメラもだいぶやられたかもしれない。上着も捨ててもいいものを持っていってよかった。とにかく足の先から頭のてっぺんまで塩まみれ。
そしてホテルの部屋。壁は塩のブロック、ベッドもブロックを積み重ねている。床はざらざらの塩。
バスルームに続くところには塩の岩をくりぬいたような机が置かれていて書き物ができる。
だが、この部屋には1泊しかしなかった。1日目は部屋割りのときに一番ビリのくじをひいてしまい、物置部屋を急きょ客室にしたといったところになった。そこは塩の壁でもなく、とても客室と呼べるような部屋ではなかった。客数の増加のためにそのような部屋もそっとツアーにもぐりこませているとしか思えない。部屋を替えてくれるように頼んでも満室でだめだった。その部屋はホテルのすみっこにあった。なので、食堂や玄関からは一番遠いところになる。ホテルは1階建なので、とても広い。ここは標高3700mだから、一歩進むのにも深呼吸をしながらゆっくりと歩かなければならない。だから食事のために部屋を出て食堂にたどりつくのに10分ほどかかってしまう。これには閉口した。
下の写真は、夕焼け見物から帰ってきたときのもの。外が夕焼けの名残をみせている。
食堂。
空からみたウユニ塩湖とアンデス高原 [マチュピチュ・ウユニ塩湖]
観光9日目
朝5時にウユニ塩湖湖畔のホテルを出発し、空港へ向かう。もう帰るのだ。南十字星がまだ輝いていた。
途中でウユニ村を通った。まだ村は寝ていた。日中は観光客でにぎわっているはずの町の中心だ。
そこの道路も6角形で舗装されている。6角形は自然界だけでなく、人工物にも多い形状なんだ。人工的な6角形は、なぜ6角形で、なぜその大きさなのかがよくわかるから不思議ではない。
空港に到着すると、空が明るくなり始めた。
7時過ぎには搭乗。
どこに行っても、またくるからね、と思うのだが、ウユニだけは今回が最初で最後のような気がする。標高3700mはやはりこたえるから、もう来れないかもしれない。
飛行機が飛び立つとすぐにウユニ塩湖が見えた。四駆で走り回ったから土の色や塩の色、水の色の織り交ざった湖は肌の感覚でとらえることができる。往きの飛行機から見たときは、なんだ、これは~と思ったのだった。体験することは重要なんだとつくづく思う。
飛行機の窓ガラスが傷だらけで、写真に写ってしまう。アマゾネス航空、ガンバレ。
土の色にまざって判別しにくいが、写真の真ん中あたりに集落が見える。
大きく撮ってみた。どこかよくわからないけど、コルチャニ村かもしれない。
ウユニ塩湖は雨季が水たまりになって、乾季は水が乾いて塩の原になるのだが、3月初めは、ちょうどそのはざまになっていて、湖も水があるところとないところがある。空からみると、それがよくわかる。
あっというまにウユニ塩湖は通り過ぎた。
今度は理解不能な地形だ。地球にしわができているみたいだ。
写真の真ん中あたりに集落がある。大規模に模様の入った地形をみると、人間の営みはなんとつましくささやかなものなんだろうと思う。
大きな平野が広がっていて、川も流れているが、ここは標高4,000mなのだ。
下写真の鼠色のリボンがなびいているように見えるのは、川なんだろう。下のほうの細くなったところには橋らしきものが見える。この川の流れのなんと優雅なこと。
標高4000mのアンデス高原は農産物も豊かなんだろう。ずっと畑が続いている。
大きなビルのある町の上に来た。
なんと、町は6角形!! 町まで6角形なのねぇ。
残念ながらこの町の名前がわからない。
ウユニからラパスへの航空路上の都市で考えられるのは、オルロだ。で、オルロの町をグーグルアースで調べてみたら、なんと6角形の町づくりをしてあるところがあった。ヤッター!と思ったのは早計だった。6角形の中心部をみていくと、オルロは、真ん丸だ。この写真は中心部も6角形だ。
ほかにも考えられそうな町をいくつか追っていったが該当するところはみつからない。
一体、ココハドコデショウ??
また、6角形の不思議が増えた。
またしばらく田園風景が広がる。
とても豊かな風景だ。ココハドコ??
えんえんと田園風景。
川が何本も流れていて標高4000mの高地だとは信じられないような風景が続く。
標高6000m級のアンデス山脈から流れてくる水が豊かな高原を作っているのかな。
これは理解不能な景色。
区画割された土地の中に、こんもりと山のようになにかが積まれている。
ひとつ考えられるのは、時は3月、南半球では初秋になる。秋の農産物の取り入れたものをうず高くつんでいるのではないだろうか。
飛行機は1時間もしないうちにラパスに到着するのだが、うかつにも居眠りをしてしまったらしい。気が付くと、雪をかぶったアンデス山脈が雲の上に見えていた。
空から見たアンデス山脈とラパス [マチュピチュ・ウユニ塩湖]
ウユニからラパスへのフライトは約50分ほど。
お天気が良かったので、アンデス山脈がよく見える。どれも6000m級だろう。
望遠側にまわして撮ったのでぼやけてしまった。
ずいぶん立派な山。
本当に山が連なって山脈だ。
だけど、眼下は畑。
民家が少し密集してきた。もうすぐラパス到着だ。アンデス山脈と密集した民家の対比がおもしろい。
山をズームアップして撮ってみると素晴らしい。
飛行機はどんどん高度を下げていく。
民家のすぐ上を飛んでいく。
滑走路に進入した。
無事、ランディング。標高4061mのエル・アルト空港に到着した。ここはラパス郊外になる。
標高が高いため、エンジンの燃焼効率が悪く、揚力発生能力も低いため、長い滑走路が必要だそうで、ここの滑走路は4000mもの長さがあるとのkと。
標高4000mを超えているところで4000mの水平な直線の滑走路を造ることができる土地があること自体が驚くべきことだ。
空港からさらにラパスの中心街まで、バスで行く。午前中に市内を見学したのち、午後は月の谷と呼ばれる地域を観光する。本日のホテルもその近くだ。標高は3400mだからこれから約700mほど下っていくことになる。
飛行機からみたラパスはのっぺりした大都市にみえるが、バスの車窓からみると、表情豊かだ。
アンデスの働き者、商売は女性 [マチュピチュ・ウユニ塩湖]
ボリビアの実質的な首都、ラパスで飛行機からバスに乗り換えて、ラパスの中心街へ向かう。その途中で、気になるのが、バルーンのように膨らんだスカートと極彩色の風呂敷を背負い、帽子をかぶった女性だ。
あの極彩色の風呂敷の中身はなんだろう???????
ラパス空港からラパスの中心街に向かったのはちょうど9時ころ。ラパスの出勤時間帯にもろにぶつかっていた。
道路は渋滞で動かないし、路上も働く人たちが急ぎ足で歩いていた。
路上で店を出すおばさんたちも忙しそう。ん?極彩色の風呂敷から見えているのは商品???
なにか売れたらしいけどなんだろう????
朝の9時ころはどこの国も通勤で大変なのだ。
山高帽のおばさまはこれからなにをするんだろう????
露店ではなく、お店をちゃんと構えている人たちも、朝は忙しい。
お店の前を掃除しなきゃいけないし。
お店の品物を並べるのだって大変。
ここからはバスを下りて徒歩になる。
ここはリナレス通り。魔女の通りなのだ。呪術用品、つまり、お守りの類を売るお店。リナレスとは魔女という意味なんだって。どうしてボリビアで魔女が出てくるのさ~と思うけど。
だけど、奇妙なものがいろいろ置いてある。中でも、お店の軒先にリャマの胎児のミイラがぶらさがっているのはぎょっとする。リャマの胎児は家を建てたときに四隅に埋めて家内安全を祈るんだって!!気持ち悪い。
バイオリンだって売っている。なんでもあり、がラパスの繁華街の怪しい側面なのだ。
外の通りの風景は平和だ。それにしても、極彩色の風呂敷を背負ったお姉さんが多いねぇ。
魔女の通りという意味のリナレス通りを進んでいくと、雑貨のお店が並んだにぎやかな通りに出る。空中を横切る電線は日本以上だ。
観光客向けのアルパカのセーターを山積みしてあって目を奪われる。だが、SサイズのAdaにあうものを見つけ出すほどの時間の自由はない。
どこのお店も女性が仕切っている。ボリビアで行商を営むのは、女性なんだって。極彩色の風呂敷の中身は、もしかして、行商の商品が入っているのではないだろうか。
下の写真のお姉さんは長い髪を三つ編みにしている。さらにその先っぽに飾りをつけている。これがボリビア女性の標準的な髪のスタイルのようだ。
働き者のボリビア女性。男はなにをしているのか、ガイドさんに聞いてみたら、運転手とか、ガイドとかだそうだ。お店は女性が経営するものらしい。
サンフランチェスコ教会前の広場に集う人たち [マチュピチュ・ウユニ塩湖]
ラパスの中心にある魔女通りと言われるリナレス通りを過ぎて、アルパカの商品で埋まるサガルナガ通りを通り、さらに歩いていくと、ちょっと改まったところに出る。左側の歴史がありそうな建物が、サン・フランチェスカ教会、とわかったのは、あとのこと。
雰囲気がサガルナガ通りに比べて一段上。
と、突然、視界が開ける。
凄い人、人・・・
向こうに見える丘がなんだか怪しいので、ズームアップしてみると、丘の上のほうまで民家が並んでいる。そして、奇岩が!!!
広場には、警官もなにやらひそひそ話。お、女性警官もいるではないか。
後ろが、サンフランチェスコ教会。素晴らしい。1548年に建てられたラパスで最も古い教会とのこと。
さて、ここで、私たちは、迎えのバスを待つ。
広場の人たちを眺めていると時のたつのも忘れるほど多彩でおもしろい。
下の写真の髪の長いお姉さん、定番のはずのショールを着ていないし、極彩色の風呂敷も背負っていないので、髪の毛がよく見える。髪の毛の三つ編みは、現地の女性の定番みたいだ。髪の先っぽは、たいてい、飾り物になっているそうだ。
山高帽に素敵なショールのお姉さん。
ラパスで最もにぎやかなこの広場でも極彩色の風呂敷を背負ったお姉さんが何人もいる。
荷物を背負ってないのは、教会に来た人かな。
道路で信号待ちの人々。山高帽のおばさまは、スカートの下にスパッツをはいている。
この後姿の人は、男性だったと思う。男性で、このような民族衣装をつけているのは、初めてお目にかかった。
教会前の広場の階段を下りると、車の多い道路になっている。アラ、下写真右の人、ズボンに極彩色の風呂敷を背負っている。これははじめてのパターンだわ。
下の写真のおばさまは、膨らんだスカートに、ショール、極彩色の風呂敷、山高帽、と4点セット全部を身に着けている。ショールというのはおしゃれのために身に着けるものと思うのだけど。荷物を背負ってショールというのはあんまり似合わないわねぇ、ショールは非生産的だもの。スペイン人の遺した習慣だと思うけど、陽射しがきつい高地ではもともとすっぽりと肌を隠すものがあったのかもしれない。
下のおばさまも4点セット揃っている上に、野菜の束を持っている。これからどこかの路地で品物を並べて商売するのだろうか。あら、スパッツもはいてる。
下のおばさまは、帽子がアルパカの毛。
コバルトブルーのスカートとショールがとっても素敵なおばさま。笑顔も極上。ショールはみるからに上質だった。靴もブルーだわ。
坂を下りて広場にやってくるお姉さん。
黒い山高帽のおばさまは、ショールもスカートも靴も黒。なにかあったのかしら。
ラパスでのひととき [マチュピチュ・ウユニ塩湖]
ラパスの中心地にあるサン・フランチェスカ教会前でバスに乗り、次に向かったのは、レストラン、その前にちらっとゴールド博物館。
バスからラッパや竪琴や五線譜をデザインした素敵な飾り窓が見えた。音楽柄が見えるとすぐに反応してしまう。こういうデザインがラパスにあったなんてちょっと不思議な気がするが、スペイン占領時代の名残なんだろう。
バスから見える建物には立派なものもある。道路の真正面の丘には、住宅が上のほうまで密集しているのがいかにもラパスらしい。ラパスではどの路地に入っても、向こう側に見える景色は、小高い丘まで這い上がった住宅地だ。
ゴールド博物館のちょっと手前でバスを下りて、こういう路地をぬけていく。博物館もさることながらこういう路地を歩くのはとても楽しい。スペインの香りがただよう。
目的地であるゴールド博物館はここ。素敵な扉だ。紀元前2000年前の黄金のアクセサリーなどが飾ってあった。博物館といっても建物は、元貴族の館だったものだし、博物館も私設のものらしい。
標高3600mにあるので、すっかりくたびれてしまい、展示を見るより、深呼吸ばかりしていた。朝5時にウユニのホテルを出発したのだからこたえるはずだ。
また路地を通ってバス道まで行く。やっぱり真正面は丘の上まで住宅が密集している。
さて、レストランに到着した。ラパスのオアシスといった感じの雰囲気のいいところだった。中心地からは標高もかなり低くなってきて、山が近い。
日本だと、ちょっと小高い丘にあるレストランに行って山の景色を楽しみながら食事、となるところが、ここ、ラパスでは、低いところに行って山の景色を楽しみながら食事、ということで、発想がまっさかさまになるところがおもしろい。100mでも低いところのほうが楽な気がする。
緑の芝生の上にテーブルと椅子をセットしてくれていたのだが、あまりの暑さのために屋内にテーブルを作りなおしてもらった。欧米の方はみなさん、太陽の下で食べるのが好きなんですね。
ウェルカムドリンクのガラスの縁に砂糖がついていておいしかった。
ミックスグリルにサラダバー、チョコレートムース。半分食べてしまったところ。手作り感のある鉄板がめずらしいので。
食べ物より、庭の芝生と花が良かった。ウユニでは塩のためか、花をあまりみかけなかった。ラパスの中心地も人が多くて、植物はあまりなかった。
久しぶりの緑と花だ。
気温はそれほど高くはないのかもしれないが、標高が高いせいか、陽射しがきつい。
ランチでまた元気を取り戻して、次に向かうのは「月の谷」と呼ばれている奇岩でできた景勝地だ。そういえば、ラパスの町中でも奇岩が顔を出しているところがあった。すぐにバスの窓からも岩がごつごつ見え始めた。
さて、バスを下りて月の谷のミニハイキング開始。月の谷入口に咲いていたゼニアオイは、木みたいだった。種類が日本のとは違うのかしらん。葉っぱも微妙に違うし。
ラパス”月の谷”プチハイキング [マチュピチュ・ウユニ塩湖]
ラパスの中心街は標高3600mくらいだが、そこからさらに下った標高3400mあたりのところに「月の谷」という奇岩でできた景勝地がある。近くまでくると、月の谷という名前があまりピンとこないが、ウユニに行く前にラパス郊外のキリキリ展望台から、このあたりをカメラをズームアップして見たときは、本当に月の表面のように灰色で死の世界のようだった。月の谷とはよくぞ名付けたものだと思った。
手すりがついていて安全対策はされているものの、滑りやすく、アップダウンが結構あって、中級ハイキングコースなみのきつさがある。
氷河によって削られた土が堆積した地層が、さらに雨によって浸食されてこの奇岩になったという。だから、岩ではなくて、土なのだ。とても脆い地層なので、雨が降ると形が変わっていくらしい。
サボテンが咲いている。時期がはずれているらしくて咲いているのはほとんどなかったけど。
谷に分け入ったかと思えば、見晴のいいところもある。向こうに見える女性3人組はタンクトップに短パンで帽子もない。欧米人は、だいたいこのスタイルだ。
一方、日本人は、帽子はもちろん、長そでのシャツに必ず足元まであるズボンを穿いている。だから、遠くから見ても、日本人の集団か、そうでないかはすぐにわかる。
脆い地盤のすぐそばまで民家がせまっている。不法建築らしいが追い出そうとしているわけでもなく、地盤がくずれたときの言い訳ぐらいの意味しかないのではないかしら。日本の海岸でも別荘地が波で削られて、家が無くなったりしているが、それと同じことが起きても不思議ではないだろう。
危ないからと言って護岸工事みたいなことをやっているわけでもないし。
見学コースはちゃんと通路を作っているからいいけど。
この花、ウユニ塩湖のインカワシ島にも咲いていた。あそこは3700mで、カメラを向ける元気も残っていないほど消耗していた。ここも標高3400mだから息が切れる。
オオー、コワー。
橋をかけて歩きやすくしているとはいっても、地盤そのものが脆いので雨でも降ったら土砂崩れでもおきそうだ。だが植物の生え具合を見る限りでは、雨はあまり降らない様子だ。そのかわりにアンデス山脈から流れてくる地下水がふんだんにあるので、人間の飲み水には困らないようだ。
崖にかろうじてしがみついているサボテン。ガンバッテルネェ。
オチルナヨ~。
こういうところで、花をみるとうれしいですね、色があって。
これはルピナス。もう実がなっている。ルピナスはニュージーランドの原野のような涼しいところの植物だと思っていたけど。
標高3400mでのゆとり [マチュピチュ・ウユニ塩湖]
マチュピチュとウユニ塩湖の観光が終わってしまうと、なんとなくのんびりムードが漂う。ここ”月の谷”のハイキングも標高3400mのきつさがあるものの、ウユニ塩湖の標高3700mをクリアしたので、もうここまでくるとなんとかなるだろうと思う。”月の谷”はラパスの大都会のすみっこだから、なにがあってもなんとかなる範疇に入っている。
ということなので、ハイキングといってものんびりマイペースで重たい一眼レフを持って歩く。それにこの標高にかなり慣れてきたのだろう。
だけど、正直なところ、この重たいレンズのついたカメラを持ち歩くのはもう今回が限界かもしれない。
標高3000mを超えるとやっぱり息がきれる。でもウユニ塩湖ほどではないから、標高3500mがこれからの旅行先の目安になりそうだ。となると、富士山はどうかなぁ。
ラパス”月の谷”の旅行のレビュー記事などを読むと、あんまり評判はよくない。がっかりした~、という記事が多い。そりゃ、ウユニ塩湖の圧倒的な大自然を見た後、ここにくると、規模も違うし、美しさも違うし、大都会のすぐ近くという手軽さからくる重みのなさはしょうがないですね。
だけど、ここにこないとわかりにくいこともある。月の谷から察するに、ラパスの地盤は極めて脆弱だということ。ちょっとでも雨が多くなってしまうと、大災害が発生するのではないだろうか。そう思って土砂災害、ラパスのキーワードで検索してみると、出てくること出てくること!!! やっぱりかなり危険なところなんだ。
ラパスの地形を改めて見てみると、氷河の流れがあったU字谷の上に市街地がのっかっている。だから標高の低い”月の谷”までくると、氷河に流されてきた土が堆積することになるのだ。そして雨によってその土が日々浸食され、”月の谷”の風景を作っている。
こういうことは”月の谷”の視点からラパスをみてみないとわからないことだ。本当に来てよかったと思う。
岩のてっぺんにあるサボテンだって、風前のともしびみたいな運命にあるのだろう。
その、サボテンを記念に撮っておこう。
民家が近くに見えたので、ここでハイキングは終わりかと思ったのだが・・・・
まだ登っていくらしい。
土地はもう砂漠といってもいいような地合いだ。乾燥地に強そうな植物が生えている。
可憐な花をつけている草もたま~にみかける。
だけど、やっぱりサボテンがここには一番似合うようだ。
ボリビアの民族衣装を着たおじさんが歌を歌っていた。やっぱり都会の中の観光地ですね。お賽銭箱もあったので遠巻きに歩いた。
とうとう出口に到着した。1時間ほどのプチハイキングだった。
”月の谷”のゲート。
ここでバスに乗ってホテルに向かう。バスから遠くに見える街並みにあるホテルまで、下っていく。
ホテルはウユニ塩湖に行く前に泊まったのと同じホテルだ。部屋は違っていたが、同じようにぜいたくな部屋だった。ソファーにダイニングテーブル、キッチンまで備わっていた。今回の旅行の最後に泊まるホテルとしては申し分ない。明日の夜は、機内で過ごすのだ。
ホテルの部屋から眺めた景色。”月の谷”で見たのと同じような風景が見える。つまり、このホテルは脆弱な地盤の上に建っているということだ!!
早めの時間にホテルに到着したので、夕食までの間、近くの巨大スーパーウォッチングに出かけた。買うものはないのだけど。キヌアというひえみたいな穀物がアンデスの人たちの体力の源泉だというので、買った。最近、日本のテレビでも紹介されていた。帰国後、ご飯を炊くときに少しずつ混ぜて食べた。
夕方の散歩のときにみかけた光景。
ホテルの前にいた女性。
サッカーに興ずる女性。
働く女性。
街路樹。
ギネス記録を持つ海辺のレストラン [マチュピチュ・ウユニ塩湖]
観光10日目
標高3300mにあるラパスのホテルを朝の7時半に出発し空港へ向かう。あいにくの雨模様みたいだが、もう旅はほとんど終わり。
今日はボリビアのラパスからペルーのリマへ戻る。リマで町を少し見学した後は、深夜にアメリカのアトランタへ行く飛行機に乗る。さらにアトランタから成田ということになる。
南米はアメリカ経由をしなければならず、アメリカではトランジットにも関わらず厳しい入出国審査に時間をとられる上、南米方面の飛行機は深夜発になるので、不便この上ない。日本からだとどうしたって2日がかりになる。
さて、朝の通勤ラッシュで渋滞の中、エル・アルト空港へ向かう。空港は標高4061mだから、標高差800mをバスで登っていくことになる。標高3700mのラパス中心街を抜けると、今度は反対路線の通勤ラッシュになる。
お天気が悪くて飛行機からは外の景色があまり見えない。ラパスからクスコにかけてアンデス山脈が見えるはずなんだけど・・・。雪を被った山がちらっと姿を見せるだけ。
雲の上まで顔を出している山が見えた。
1時間もしないうちに、クスコに到着した。クスコでは機内待機になる。なぜリマへの直行便がないのだろう、とそのときは不思議に思った。多分、ラパスの標高が高過ぎて酸素濃度が薄くエンジンの燃焼効率が悪くて、燃料をあまり積むことができないためなのではないかしら。
クスコはマチュピチュへの玄関になるところなので、もうおなじみの空港なのだが、お天気が悪くて、別の空港のように感じる。クスコ空港も標高は3400mと高いので、陽射しのきついところだと思っていたが、今日はその陽射しもない。
飛行機のすぐそばに民家があるのは、ラパスと同じく異様に感じる。
機内で1時間ほど過ごした後、再び飛行機は飛び立った。
だが、あっという間に飛行機は雲の中に突入してしまった。1時間もたたないうちに、海岸がみえて着陸に入った。
ペルーへの入国審査を終え、バスに乗り込んでランチをとるレストランに到着したときは、午後2時を過ぎていた。海岸に突き出た防波堤の先にあってリゾート風だ。
下写真はレストランからの景色。海岸からいきなり崖が切り立っていて、別荘用だと思われるアパートメントが並んでいる。あの崖もそのうち波で削られていくのではないかと心配してしまう。
ランチだというのにビュッフェではなく、一人ずつサービスしてくれる。
まず、アスパラガスのスープ。ホワイトアスパラガスのスープはオーストリーのザルツカンマグートではまってしまってよく食べたけど、緑色のアスパラガスのスープははじめてだ。
野菜と魚。手前の粒粒は、大きなとうもろこし。魚のセビッチェはペルーの名物料理なんだって。そういえばスペインなどの地中海でも刺身にマリネをかけて出される。これもスペイン領時代の名残ですね。だけどなんとなく南米風。
メインディッシュは牛肉炒め。ジャガイモが付け合せなのはいつものことだけど、ご飯もいつものことなので閉口する。とうとう南米のご飯は食べられなかった。
デザートは赤トウモロコシで作っているらしい。
このレストラン、コスタベルデはギネス記録を持っているとかで、その認定証を額縁に入れて飾ってあった。1996年に、ビュッフェの料理の数が428で世界最高の数だったとか。
波打ち際からみたレストラン。
津波でもあったらあっという間に波にのまれてしまうと思う。日本とは太平洋を隔てているだけだけど三陸からの津波はここまでは到達しないのかしら。
海に面した公園 [マチュピチュ・ウユニ塩湖]
遅いフルコースランチを海辺のレストランで食べた後は、近くの公園でのんびりお散歩となる。
バスで移動するとき、バス専用路線が見えた。メトロポリターノと呼ばれていて、黄色い線の中は路線バスしか走れない。下写真の建物は、メトロポリターノの駅である。
ちょうど、2連結のバスがやってきた。渋滞がないので、かなり正確に運行されているという。乗っているバスのガラスの映り込みが入ってしまったが、バスを撮ったのははじめてなので。
さて、やってきたのは、Parque de Amor、恋人たちの公園と呼んでいたけど。アントニオ・ガウディの作品のあるバルセロナのグエル公園のタイルに似ている。
ここが、なぜ、Parque de Amorなのか、という理由が、この像。男女がキスをしている。だが、2人は、やや太めの中年のおじさん、おばさんのカップルなのだ。どうしてこんな像が、景勝の地に置かれているのか、理解不能だ。
だが、この公園は名前のとおり、カップルの人気のデートスポットなんだそうである。ガウディ調のちょっとおしゃれに設計されているし、断崖の上にあるから海の景色も雄大だ。カップルでなくてもここでのんびりと過ごしたいと思う。
書かれている文字は、さっぱりわからない。ガウディは1926年に亡くなっているが、この公園ができたのは、それから10年ほどたった、1934年のこと。もし生きていたら意匠権の侵害がなんかで訴えていただろうか。
だが、グエル公園のこういうタイルのオブジェは、もっと丸みがあったと思う。グエル公園全体がタイル以外のオブジェもあったりするので、そのような環境の中で存在感が際立っていたように思う。
公園から海を見ると、波に点々と黒いものが見える。
ズームアップしてみると、サーファーが遊んでいた。
崖は、崩れそうでこわい。アパートメントは富裕層の別荘かと思っていたが、別荘ではなく、どうも住宅らしい。
やっぱり中年だわ。
やっぱりグエル公園のものとはずいぶん違う。
さて、海を眺めながらのんびりした後、再びバスに乗って、リマの旧市街へ向かう。
途中でみた街路樹が、ジャカランタみたいだった。ジャカランタは南アフリカでは11月ころが花期になっているけど、今は3月初め。
ここのメトロポリターノは歩道がある。メトロポリターノのシステムがどうなっているのかわからないけど、結構いいシステムのように思う。
リマでは2012年に電車が運行開始した、という記事があった。ガイドブックなどではリマに電車はない、と書いてある。
マチュピチュに行く唯一の交通手段が電車なのに、リマに電車がないというのは不思議なことだと思っていた。
だが、長くスペインの植民地だった歴史を考えると、ペルーの位置づけは資源産出国ということなので、その資源を効率よく運ぶことが、スペイン側からみたペルーの役割だったのだ。だからマチュピチュのさらに奥地から産出されるカカオやコーヒーを海岸まで運ぶことが最優先されていたのだ。
世界遺産のリマ旧市街を守る人たち [マチュピチュ・ウユニ塩湖]
リマの海岸で遅いランチをとり、公園で散歩したのち、リマの旧市街に着いたときは、もう夕方の5時になっていた。曇っているし、日も弱くなってなっている。今にも雨が降りそうだったが、リマはほとんど雨が降らないところであることは、後で気が付いた。ペルーの海岸側は、ナスカも同じだが、ほとんど砂漠に近い。アンデスからの雪解け水があるから水には困らないようだけど。
ここは、リマの旧市街のど真ん中、アルマス広場である。いろいろな由緒ある建物に囲まれている。真正面に見えているのは、リマの市庁舎。
そして右側に、大統領府がある。
大統領府には、かっこいい番兵が立っている。
せっかくだからズームアップして撮ってみよう。
柵の外側にもガードマンみたいな人が立っている。
広場には馬車も走っている。
シティツアーのバスだって走っている。
建物の黒い出窓は、木でできている。コロニアル建築様式と呼ぶそうで、植民地時代に、その国に応じた建築資材を使った建物なんだそうだ。なにがコロニアルなんだろう???
そして広場には、警官もいる。しかも、女性だ!!!
これはカテドラル。ペルーの90%はキリスト教徒だそうだから、教会が町の真ん中にある。
この教会の左側の建物にも黒い木の出窓がある。精巧に作られている。
これはカテドラルの真ん中入口の上の部分。塔に点々と黒くみえるのは、鳥。
さて、広場から少し通りを入っていく。ヨーロッパのような重厚な建物が並んでいる。さすが、世界遺産の街並みだ。
で、図書館のトイレを使わせてもらった。中に入ってびっくり仰天。天井のステンドグラスが素晴らしい。
最初はユダヤ教のシナゴーグとして建てられ、その後、駅舎になり、図書館になっている。
街には、警察の車も走っている。
警察犬だっている。
リマの旧市街は治安がよくなかったらしいが、なにがなんでも観光客を守るという姿勢はみてとれる。
そして、ここで迎えのバスを待っていた。両側はピンクの建物。
世界遺産のリマ旧市街は、つまるところ、植民地時代の遺産でできていた。思うに、リマにはスペインがやってくるまで、人はほとんど住んでいなかったのだろう。港を必要としていたスペインがリマを造ったのだ。
リマは、雨がほとんど降らなくて、住環境としてはそれほどいいとは思えない。だから、インカ帝国の首都は、クスコだったのだろう。クスコの降水量は、最も多い1月が145mm。東京は9月が最も多く200mmとなっているから、クスコは雨量からみる限り住みやすいと言える。だがリマは最も多い9月でも、わずか5mmしかない。だから草木はそのままでは生えない。
雨が降らないからお天気はいいのかというと、そうでもなくて海の寒流のせいなのか、霧のようなもやがかかっていて、どんよりとしている。ペルーでどこが住みやすいかということだと、やはりクスコだろう。標高は3400mだけど、慣れればなんとかなる範囲だ。
リマの博物館 [マチュピチュ・ウユニ塩湖]
リマの旧市街をざっと見たのち、今度は博物館にやってきた。
午後6時を過ぎていたので薄暗く、せっかくの庭の素晴らしい花を見て回れないし、カメラで撮るのももう限界だ。
それでもあまりにも惜しいのでぎりぎりまで中に入らないでカメラで花ばかりみていた。それほど、庭の手入れが行き届いていた。
緑や花にあふれているのは当たり前のように思ってきたのだが、ここリマはほとんど雨が降らないということだと、これだけの庭園を維持するには、大変な労力が伴うと思われる。
入口にも花が咲き乱れている。だが、写真をみてはじめて気が付いたのだが、みんな鉢植えだ。砂漠のようなリマでは普段は集中管理でもしないとだめなのかもしれない。
遠近両用のカメラレンズで頑張った。
マクロレンズをつけていたら、一日中ここでカメラ遊びしてもあきないだろう。
さて、暗くなったので、ラファエル・ラルコ・エレラ博物館の中に入る。ずいぶん、長い名前の博物館だが、これは個人の名前だ。考古学者であったラファエル・ラルコ氏がご自分の邸宅を博物館として公開しているとのこと。
そのラファエル・ラルコ氏たる方、どんな人なんだろう。
ペルー人なのか、スペイン系の人なのか。
なぜ、こんな大邸宅をペルーに持つことができたのだろうか。
ご存命なのか、
なぜ、こんなに収集できたのか、
なぜ国立博物館にしないのか、
なぜ没収されないのか、
収集のときの資金源を追及されなかったのか、
もともとはペルーの国の遺産ではないのか、
考古学者が発掘したものを個人の資産にしてそれを見せることで収入を得るなど許されるのだろうか、
とか数々の疑問が湧きあがる。
だが、ネットではわからなかった。こういうことは聞いてはいけないことかもしれない。
上の写真の上にもフクロウがいるが、またフクロウ。
フクロウは、南米でもなにか意味がある鳥なのかしら。
8世紀から13世紀くらいの織物で、経糸が木綿、横糸がアルパカの類の毛だとか。なぜ1000年も前の布地が残っているのだろうと思うが、リマは乾燥しているからあまり傷まないのかもしれない。
こちらはかなり新しくて13世紀から16世紀くらいのインカ帝国時代のものらしい。鳥をデフォルメしているそうだが、デザインが斬新で今の時代でも通用する。
こういう布地をみていると、クスコあたりのおばさんが背負っていた風呂敷の派手派手デザインとあまりにも違うので、あの風呂敷はどこから出てきたものなんだろうと思う。
アンデスといえば、やはり笛ですね。
サンポーニャと呼ばれるマリンバみたいな笛を土器にしている。
ケーナと呼ばれる縦笛を吹いている人。
本物の縦笛、など音楽が古くから奏でられていたことがうかがえる。
素敵なブローチみたいなものも。
デザインが漫画みたいでなかなかおもしろい。
純金のお面とか。
もう、とてもとても多すぎてみることができなかった。
ここでの時間はわずか1時間。博物館見学は、個人でこなきゃだめですね。
マチュピチュとウユニ塩湖の旅は終わり [マチュピチュ・ウユニ塩湖]
旅の終わりが終わっていなかった。
マチュピチュとウユニ塩湖の旅は、リマ博物館見学の夜、午前1時の飛行機でリマを飛び立って終わった。
なぜかだんだん明るくなる。
行先はアトランタ。アトランタを成田に向けて出発したのは朝だった。
アトランタは雨。
時間がどうなっているのかさっぱりわからなくなって、成田に到着したのは夕刻だった。